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静岡地方裁判所 昭和56年(た)1号 決定

《目次》

〔主文〕

〔理由〕

第一 確定判決の存在及びその証拠構造

一 確定判決に至る経緯

二 第一審判決

三 控訴審判決

四 上告審判決

五 確定判決の証拠構造

第二 本件再審請求の理由

一 弁護人提出の主張書面

二 弁護人らの主張する再審理由の要旨

第三 当裁判所の判断

一 脱出口に関する所論について

二 凶器に関する所論について

三 一号タンクから発見された五点の衣類に関する所論について

四 請求人の自白等に関する所論について

五 混合油に関する所論について

六 丙下秋子に対する金の預け渡しに関する所論について

七 請求人の人格に関する所論について

八 ゴム草履に関する所論について

九 請求人の右手甲に傷が存在しないとの所論について

一〇 請求人の右上腕部に創傷が存在しないとの所論について

第四 結論

主文

本件再審の請求を棄却する。

理由

第一  確定判決の存在及びその証拠構造

一  確定判決に至る経緯〈省略〉

二  第一審判決

1  認定された(罪となるべき事実)は次のとおりである。

「被告人は、昭和四〇年一月頃から清水市(番地略)有限会社こがね味噌甲本商店に味噌製造工員として勤務し、同年四月頃から、同商店第一工場二階の従業員寮一〇畳の間に他一人の従業員と共に住込んでいた者であるが、昭和四一年六月三〇日午前一時すぎ頃、同店の売上金を、若し家人に発見されたときは脅迫してでも奪おうと考えて、くり小刀を携え右商店の専務取締役甲本一雄方(清水市番地略)住居に侵入して金員を物色中、右甲本一雄(当時四二年)に発見されるや、金員強収の決意を固め、右一雄方の裏口附近の土間において、所携のくり小刀(刃渡約一二センチメートル)で、殺意をもって同人の胸部等を数回突刺し、さらに、物音に気付いて起きてきた家人に対しても殺意をもって、同家奥八畳間で、一雄の妻春子(当時三九年)の肩、顎部等を数回、一雄の長男二郎(当時一四年)の胸部、頸部等を数回、同家ピアノの間で、一雄の次女夏子(当時一七年)の胸部、頸部等を数回、それぞれ前記くり小刀で突刺し、次いで、右一雄が保管していた有限会社こがね味噌甲本商店の売上現金二〇四、九一五円、小切手五枚(額面合計六三、九七〇円)、領収証三枚を強取し、さらに右一雄ら四名を、右住居もろとも焼毀してしまおうと考え、同商店第一工場内の三角部屋附近に置いてあった石油缶在中の混合油を持ちだして、これを、前記一雄、春子、二郎、夏子の各被傷体にふりかけ、マッチでこれに点火して放火し、よって、(一)右一雄らが現に住居に使用しかつ現在する木造平家建住宅一棟(約332.78平方メートル)を焼毀し、(二)右一雄を、右肺刺創等による失血のため死亡せしめて殺害し、(三)右春子を胸部刺創等による失血と全身火傷のため死亡せしめて殺害し、(四)右二郎を胸部刺創等による失血と全身火傷のため死亡せしめて殺害し、(五)右夏子を、心臓刺創等による失血と一酸化炭素急性中毒のため死亡せしめて殺害したものである。」

2  確定記録によると、本件発生後、第一審判決に至るまでの経緯はおおむね次のとおりである。

(一) 捜査当局は、焼け跡から発見された四名の死体に多数の刺切創があり、焼け焦げた各死体の着衣等に油臭があったこと、被害者方から現金入り金袋が持ち出された疑いがあったこと等から、強盗殺人、放火事件の疑いが強いとして捜査を開始したが、現場の状況、有限会社こがね味噌甲本商店(以下「こがね味噌」という)が従業員に支給していた雨合羽等の遺留品、被害者宅南側裏のこがね味噌工場(東海道本線を挾んで被害者宅裏口と相対しており、被害者宅裏口から工場正門までは約31.8メートルの距離である)内の三か所に認められた血液反応等から、犯人は、その前後に工場に出入りしたことのある会社の内情に詳しい者との疑いを強めた。

(二) 請求人は、こがね味噌の従業員で、工場内二階の従業員寮に住み込んでいたものであるが、事件の四日後に請求人の部屋から発見された請求人のパジャマに請求人以外の者の血液反応が認められたこと、請求人が事件直後左手中指を怪我していたこと、事件当日寮内の自室に一人で寝泊まりしていたこと等から犯人と疑われ、昭和四一年八月一八日に逮捕され、引き続き勾留された。

(三) 請求人は、取調べに対し否認を続けていたが、勾留中の同年九月六日に至り、司法警察員に対して本件犯行を自白し、勾留満期となる同年九月九日、検察官に対しても犯行を自白し、同日、住居侵入、強盗殺人、放火罪で静岡地方裁判所に起訴された。

(四) 請求人は、起訴後も同年一〇月一三日ころまで継続的に検察官や司法警察員の取調べを受け、本件犯行を認める供述をしていたが、同年一一月一五日の第一回公判において、本件犯行を全面的に否認し、以後、一貫して無罪を主張した。

(五) 検察官は、第一回公判の冒頭陳述において、請求人は前記パジャマを着て本件犯行に及んだものであると主張していたところ、第一審公判係属中の昭和四二年八月三一日に、味噌の搬出作業に従事していたこがね味噌従業員によって工場内の一号味噌タンク(以下「一号タンク」という)の中から大量の血液が付着したステテコ、半袖シャツ、スポーツシャツ、緑色パンツ及びズボン(以下これらを総称して「五点の衣類」という)の入った麻袋が発見されたことから、これらの衣類についての捜査が行われ、その結果、検察官は、同年九月一三日の第一七回公判において、右衣類は請求人のものであり、請求人は右五点の衣類を着用して本件犯行に及んだものである旨主張を変更した。

(六) 検察官は、昭和四二年一一月一七日の第二一回公判において、請求人の司法警察員に対する供述調書二八通及び検察官に対する供述調書一七通の取調べを請求し、弁護人は、右各供述調書について任意性がないと主張した。

裁判所は、昭和四三年四月九日の第二八回公判において、右四五通の供述調書をすべて証拠として採用したが、判決において、司法警察員に対する供述調書二八通はすべて任意性に疑いがある旨、また、昭和四一年九月一〇日付け以降の検察官に対する供述調書一六通は、起訴後の取調べであるところ、その実態は任意捜査とはいえず、このような取調べによって作成された供述調書は証拠とすることができない旨説示して、いずれも証拠能力を否定し、右各供述調書について職権で証拠排除をし、結局、請求人の検察官に対する昭和四一年九月九日付け供述調書(以下「九月九日付け検察官調書」という)のみについて証拠能力を認めた〔しかし、裁判所は、唯一証拠能力を認めた右九月九日付け検察官調書を、判決の(証拠の標目)欄中に挙示していない〕。

3  第一審裁判所が、前記罪となるべき事実を認定した理由の要旨は次のとおりである。

(一) まず、「九月九日付け検察官調書」以外の証拠によって、次の事実を認定できるとする。

(1) 犯罪事実の存在

イ 火災の発生とその結果

昭和四一年六月三〇日午前一時五〇分ころ、甲本一雄方から火災が発生し、同日午前二時三二分ころ鎮火したこと、右火災により同人方の母家が殆ど焼失し、焼け跡から家人四名(一雄、春子、二郎及び夏子。なお、右四名の血液型は、一雄がA型、春子がB型、二郎がAB型、夏子がO型である)が焼死体となって発見されたこと

ロ 右火災は放火によるものであること

①被害者らの着衣等に付着していた油を鑑定した結果、右油は、こがね味噌工場三角部屋付近にあった一八リットル入り石油缶内の混合油と同種のものと推定されたこと、②右石油缶内の混合油が減少していたこと、③右石油缶に人血の付着が確認されたこと、④四名の死体に数多くの切創等が存在していたこと等を総合すると、犯人は、工場三角部屋付近に置かれてあった右石油缶内の混合油を持ち出して各被害者にかけ、これに火を放ったものであること

ハ 被害者らが殺害されたものであること

①四名の死体のいずれにも存する数多くの切創等の状況、②夏子の死体付近から発見された柄も鞘もついていないくり小刀、一雄方土間から発見された雨合羽(同押号の五)及び右雨合羽のポケットに入っていたくり小刀の鞘についての捜査結果(雨合羽はこがね味噌が従業員乙田三高に支給したもので、同人はこれを同年六月二八日に着用した後工場内に置いたこと、翌二九日は晴天だったので同人は雨合羽を着用しなかったこと、本件くり小刀と本件鞘とが一致すること等)、③工場内の六か所からルミノール陽性反応が認められ、うち三か所にA型及びA型らしいと思われる血痕の付着が認められたこと、④昭和四二年八月三一日にこがね味噌従業員が味噌の搬出作業中に一号タンク内から発見した白色ステテコ、白色半袖シャツ、ネズミ色スポーツシャツ、鉄紺色ズボン、緑色パンツの五点の衣類及び右衣類が入っていた麻袋についての捜査結果(右五点の衣類に認められたA型等の血痕の状態、半袖シャツ、スポーツシャツ、ズボンに認められた損傷の状態、特に、半袖シャツには右肩の二個の損傷部を中心に内側から表へ染み出た状況でB型の血痕が付着していたこと、本件麻袋は、こがね味噌が一号タンクいっぱいに新しく味噌の原料を仕込んだ昭和四一年七月二〇日以前に同タンクに入れられたものと認められること等)、⑤工場内の三角部屋付近にある排水溝の中からAB型らしい人血が付着したこがね味噌のネーム入りの手拭いが発見されたこと、⑥請求人のパジャマ上下を鑑定した結果、上衣の左胸ポケット部分にAB型の、下衣の右膝部分にA型の、上衣の左前下側等に血液型不明の人血が付着していたこと、⑦右パジャマには、被害者らの着衣等に付着していた油ないし前記石油缶中の混合油と同種の混合油が付着していたこと等の事実を総合すると、犯人は、一号タンクから発見された五点の衣類を身につけ、その上に工場内にあった雨合羽を着て、本件くり小刀(当時は柄もついていた)を所持して一雄方の土間に至り、そこでくり小刀を鞘から抜いて、鞘を雨合羽の右ポケットに入れてから、雨合羽を土間に脱ぎ捨て、その後、被害者ら四名を右くり小刀で突き刺し、その際、被害者らの血液が前記五点の衣類に付着したこと、犯人は、右くり小刀を夏子の死体の近くに落として逃げたこと、犯人は、血液のついた右五点の衣類を着用したまま工場内に入り、風呂場等を歩いたこと、さらに、犯人は、本件犯行から右五点の衣類を脱ぐまでの間に、何らかの原因で右肩に傷を負って出血したこと、犯人の血液型がB型であること、犯人は、工場内を歩いた後、右五点の衣類を脱ぎ、請求人のパジャマを着て、石油缶から混合油を持ち出して放火に使用したこと等が認められ、また、犯人は、工場内の事情に詳しい者であることが推測される。

ニ 金員奪取行為の存在

①一雄方寝室八畳間の夜具入戸棚の中にあった通称じんきち袋内に入っていた金袋九個のうち三個が紛失し、そのうち二個は一雄方裏口付近で発見され、そのうち一個に人血が付着していたこと、②昭和四一年九月一三日、清水郵便局で差出人名の書いていない清水警察署宛の封筒一枚が発見され、その中には、現金合計五万七〇〇円(札はいずれも一部焼失しており、うち二枚の千円札にそれぞれ「イワオ」と書かれていた)と「ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアツタツミトウナ」と書かれた便箋一枚が入っていたこと等の事実を総合すると、犯人は、右金袋三個を窃取または強取したが、うち二個を一雄方裏口付近に落とし、一個の金袋(現金八万二三二五円及び小切手二枚が在中していた)だけを持って逃げたことが認められ、右各事実によれば、前記封筒入りの現金は、盗まれた金袋に在中していた現金の一部であって、何らかの事情により右現金を手に入れた者が、犯人が「イワオ」という名前の者であるか、少なくとも右名前の者と重要な関係がある者だということを知って、そのことを知らせようとして札の一部と便箋に、自ら前記のような文字を書いて清水警察署宛に投函したものであることが推認される。

(2) 本件犯罪事実と請求人との結びつき

イ 一号タンクから発見された五点の衣類中、本件ズボンは、事件後の昭和四一年九月二七日ころに、こがね味噌の従業員寮から静岡県浜北市の請求人の実家に送り返された請求人の荷物の中に入っていた端布と生地が同一種類であり、染色も似ており、さらに、本件ズボンと本件端布には一致する切断面が存すること等から、本件端布は、本件ズボンのとも布であって、本件ズボンは、請求人のものと断定することができ、また、本件パンツは、請求人の同僚九名が、本件以前、請求人が緑色のパンツをはいていたのを見ており、こがね味噌従業員のうちで緑色系統のパンツをはいている者は請求人以外には見たことがないと述べていること等から、請求人のものである疑いが極めて濃厚であるうえ、本件ズボンとパンツを含む五点の衣類が一緒に脱いだ形で本件麻袋の中に丸めて入れられていたことと合わせて考えると、スポーツシャツ、ステテコ、半袖シャツも請求人のものと推認することができる。

ロ こがね味噌の従業員として働いていたころ請求人と親しく交際していた丙下秋子は、便箋に前記(1)ニのような文章を書き、これと現金合計五万七〇〇円(そのうちの千円札二枚に「イワオ」と書き)を封筒に入れて発送した。同女は何らかの方法で右現金を請求人から預かっており、右現金は、請求人が本件犯行に関与して取得したものであることを知っていた。

ハ 前記パジャマは請求人のものであり、昭和四一年七月四日に従業員寮の請求人の部屋から発見された。

ニ 沼津市丁刃物店の店主の妻戊橋冬子は、請求人が自白する前の昭和四一年七月ころ、捜査官から、こがね味噌従業員二〇名余の写真を見せられた際、請求人の写真について、二、三か月前ころ、同店で見た顔である旨述べた。同店では本件くり小刀と同様の小刀を一本五〇〇円で販売していた。

ホ 請求人の血液型はB型であるところ、これが五点の衣類のうちの半袖シャツの右肩の損傷部分に内側から付着したと認められる血痕の血液型と一致する。〈証拠〉によると、請求人には、昭和四一年九月八日当時、右上腕部前面に紫褐色の化膿の痕が存在していたこと、また、〈証拠〉によると、請求人には同年八月一八日当時、右上腕の外側上三分の一の部分に肉芽組織が存在していたことが認められる。この右肩の傷と半袖シャツの右肩の損傷は、完全に一致するわけではないが、右半袖シャツを着用したままで、充分生成可能な傷である。

ヘ 請求人は、事件直後、左手中指に怪我をしているところ、公判廷において、「右の傷は、本件消火作業の際、屋根の上で滑って転び、トタンで切ったものである」旨述べているが、この傷は、鋭利な刃物による傷と認めるのが相当であり、トタンで切れたものと判断するのは不合理である。

ト 本件の前夜の午後一〇時半ころから本件火災の鎮火に近いころ火災現場に請求人が姿を見せるまでの間に、請求人を見たという者がなく、請求人には本件当夜アリバイがない。

以上イないしトの諸事実を総合すると、請求人が本件の犯人であることの蓋然性は極めて高いということができる。

(二) 次に、請求人の九月九日付け検察官調書の内容と右検察官調書以外の証拠によって認定される前記(一)の各事実との関係について、次のとおり検討している。

右検察官調書によると、請求人は検察官に対して、検察官が主張する事実にほぼ合致する供述をしている。

もっとも右検察官調書中、請求人が一雄外三名を刺した際にパジャマを着用していたとの内容の供述部分が虚偽であることは明らかであるが、これは、請求人が右供述の当時、パジャマだけが発見されていて、五点の衣類が未だ発見されていなかったのを幸いに、検察官の推測に便乗したような形で右のような供述をするに至ったものと認められるとする。

そして、右検察官調書について、犯行動機、凶器の購入、左手中指の傷、現金約五万円の行方、工場風呂場に付着した血液、手拭い、金袋三個、侵入した場所、脱出した場所、混合油を入れたポリ樽等に関する供述をそれぞれ検討し、これらの内容はいずれも客観的事実と矛盾しない、ないしは不合理なものとはいえない等としている。

(三) 結論

以上検討した結果等を総合すると、請求人が、昭和四一年六月三〇日午前一時すぎころ、金員窃取、しかも、もし家人に発見された場合には、家人を刃物で脅かしてでも金員を奪取しようとの意図をもって、本件くり小刀を所持して一雄方に侵入したこと、その際、一号タンクから発見された五点の衣類を身につけ、その上に工場内にあった雨合羽を着ていたこと、一雄方裏口近くの木に登って一雄方の屋根に移り、中庭に降りて侵入したこと、侵入後、本件くり小刀を鞘から抜いて、鞘を雨合羽の右ポケットに入れ、その後雨合羽を脱ぎ捨て、本件くり小刀を手に持ったこと、金員物色中一雄に発見されて金員強取の決意をし、同人と格闘の末、同人を本件くり小刀で刺し殺したこと、同人との格闘中に本件くり小刀で自己の左手中指を傷つけたこと、その後、春子、二郎及び夏子を本件くり小刀で刺し、これを夏子の近くに落としたこと、その後、金袋三個を強取し、いったん裏口の扉から脱出したが、途中で二個の金袋を落としたこと、その後、工場内に入り、五点の衣類を脱いでパジャマを着たこと、次いで三角部屋横に置かれてあった石油缶から混合油を持ち出し、再び前記裏口から一雄方に入り、被害者四名の体にそれぞれ混合油をふりかけて放火したこと、その後、七月一〇日ころ、強取した現金のうち五万円位を丙下秋子に預けたこと、時期は確定できないが、前記五点の衣類を麻袋に入れて一号タンクの中に入れたこと等の各事実については証明が尽くされたとする。

他方、検察官主張の事実のうち、①侵入後、一雄と格闘するまでの詳細な経緯及び格闘の具体的状況の詳細、②その余の三名を刺した順序及び具体的状況の詳細、③五点の衣類を一号タンクに入れた際の具体的状況及びその日時の詳細、④パジャマを着た場所及び経緯、犯行後のパジャマの後始末の詳細並びに⑤パジャマ右肩に存する損傷の生成時期及び生成原因等の諸点のうち、③については全く証拠がなく、①、②、④及び⑤については、請求人の検察官に対する自白が存在するだけであり、それだけで自白通りの事実を認めるにはちゅうちょせざるをえず、右①ないし⑤の点については、明確な結論に達することができなかった。しかし、そのことが、請求人が少なくとも判示(罪となるべき事実)記載の限度の犯罪の犯人であることについて合理的な疑いを抱かしめるに足りるものとは認められない。

以上の次第で、判示(罪となるべき事実)記載の犯罪事実の存在及びその犯人が請求人であることのいずれについても、合理的な疑いを越える程度に証明が尽くされたとの結論に達したとする。

三  控訴審判決

控訴審における判断の概要は次のとおりである。

1  犯罪事実の存在に関する争点について

(一) 一雄ら四名の被害者の身体、着衣等にかけられていた油ようのものが工場内から持ち出された混合油であるか

第一審では、篠田勤ら作成の鑑定書〔被害者らの着衣等には混合油が付着しており、この混合油は工場内の混合油と同種の混合油と認めるのが妥当、もしくは工場内の混合油と同種の混合油と推定されるとしている〕及び阿部博作成の鑑定書〔被害者らの着衣等から潤滑油様の油が検出され、この油は、工場内の混合油中の潤滑油の成分と類似もしくはかなり類似した油ではないかと思われるとされている〕を取り調べたが、当審では、右篠田及び阿部を鑑定人兼証人として尋問したほか、中沢泰男に対し、「篠田鑑定の鑑定経過によりその結果を合理的に導出できるか」等について鑑定を命じ、その尋問をした。その結果によれば、焼け跡から発見された被害者らの衣類等に混合油が付着していたことは明らかであり、これが工場内の混合油と同じ成分である可能性は相当強いと認められるが、以上の結果だけから直ちに工場内にあった混合油が焼け跡から発見された着衣等に付着していたものというには問題がないではない。しかし、証拠によって認められる①工場内の混合油が約5.65リットル減少していたこと、②工場内の混合油の石油缶に人血が付着していたこと、③被害者宅には混合油が存在した形跡はないこと、④工場と被害者宅裏出入口との距離(約31.8メートル)、一号タンクからの着衣の発見、工場にあった雨合羽の使用、被害者宅焼け跡から、工場内に多数あったクリーム色の味噌用のポリ樽が焼けて溶けたと思われる破片が発見されていること等工場との関連をうかがわせる諸事情をも合わせ考えると、工場内の混合油が約5.65リットル持ち出され、本件放火の用に供されたという原判決の認定は十分に肯認できるとした。

(二) 犯人は、請求人の部屋から押収されたパジャマを着て工場内から混合油を持ち出し放火をしたか

第一審で取り調べた前記篠田鑑定によると、パジャマから抽出した油の中には混合油の存在が認められ、その混合油は工場内の混合油及び被害者らの着衣等に付着していた混合油と同種のものと推定されると結論しているところ、当審での中沢鑑定によると、右篠田鑑定の経過・結果には一部問題があり、特に混合油の種類に関する部分をそのまま採用するのは困難であるが、右パジャマに、種類はともかく、混合油が付着していたことは疑いなく、中沢鑑定も、パジャマの混合油が被害現場の混合油及び工場内の混合油と別の種類であるとまでいっているのではないこと、請求人自身本件発生の前後に自分のパジャマに血痕や油質が付着するような機会はなかった旨述べていること等の事情に徴すると、犯人は被害者を刺切した後、請求人のパジャマに着替えて工場内の混合油を運び放火に及んだものとの第一審判決の認定は十分肯認できるとする。

(三) 本件犯行の凶器は現場から発見された本件くり小刀であるか

第一審における各鑑定(鑑定人鈴木俊次作成の鑑定書二通及び山下英秋作成の鑑定書四通に加え、当審で取り調べた上野正吉作成の鑑定書によると、本件くり小刀は本件成傷器として格好なものと考えられ、この種の刃器一本で各被害者の傷は生成可能であるとされ、この点は、当審で取り調べた内藤道興作成の鑑定書でも支持されていること、その他被害者らの刺切創の状態や、本件くり小刀が夏子の焼死体の近くから発見されたこと、犯人が遺留したと認められる雨合羽の右ポケットに刃体と完全に合致する本件鞘が入っていたこと等に徴すれば、本件の凶器は右くり小刀であると認めるに十分であるとする。

(四) 五点の衣類に関する争点について

(1) 犯人は、一号タンクから発見された五点の衣類を着用して本件刺切行為に及んだものであるか

一号タンクから発見された五点の衣類には多量の、しかも被害者らの血液型と一致する複数の人血が付着していたこと、ズボン、スポーツシャツ及び半袖シャツに損傷があり、半袖シャツの損傷部分には内側からにじみ出たと認められる人血(B型)が付着していたこと、後記(2)の認定のとおり昭和四一年七月二〇日より後に五点の衣類を一号タンクに隠すことは殆ど不可能と思われること、一号タンクは犯行現場に近いこと、本件と関係なくこのような場所に血染めの衣類が入れられたことをうかがわせる出来事は全く認められないこと等を総合すれば、五点の衣類は、犯人が本件刺切行為時にこれを着用したと認めるのが相当であるとする。

(2) 五点の衣類の入った麻袋が一号タンクに入れられた時期はいつか

昭和四一年七月二〇日に、一号タンクに新たに大量の味噌が仕込まれてからは、発見場所である底から3.5センチメートルの底部に本件衣類等を隠すことは殆ど不可能であると思われること、清水署は、同月四日の工場の捜索の際、会社の要請により、会社に損害を与えないため、一号タンクは上から点検しただけで味噌の中までかきまわして調べなかったこと、捜索の際にも一号タンク内には半分より少なかったが、なお相当量の味噌が入っており、前記のような捜索方法では味噌の中に麻袋が隠されていても発見できないこと、犯行前後ころ、タンクに入って味噌を出すのは主として請求人の担当であり、人手の足りないときは請求人も仕込みを手伝うことがあり、七月二〇日の一号タンクへの仕込みの際にも請求人がタンク内で味噌を踏んだ可能性があること、味噌を仕込む前にタンクの中を掃除するとは限らず、七月二〇日に一号タンクに味噌を仕込む際にも残った味噌の上に仕込んだものと思われること等の事情を総合すれば、五点の衣類の入った麻袋が本件の直後に一号タンクに入れられた蓋然性は大きく、そうだとしても、七月四日の捜索、七月二〇日の仕込みの際に発見されるおそれは小さかったと思われるとする。

その他の争点に関する判断及び争いがなく証拠上も明らかに認められる事実を総合すれば、被害者四名はいずれも被害者宅に押し入った犯人によって身体各所を刺切されて瀕死の重傷を負い、その直後混合油を浴びせかけられたうえ居宅もろとも放火されて殺害されたことが明らかであり、本件は、会社の内情に詳しい犯人が当初から財物奪取の目的で被害者宅に立ち入ったところ、家人に発見されたため居直って一雄と格闘し、同人ら四名を刺切した後、工場内の混合油を持ち出して住居もろとも焼毀し、その際金袋三つを強取したと認めるのが相当であるとする。

そして、判決は、以上の状況だけによっても、犯人は請求人でないかとの疑いを生ずるが、請求人が犯人であると断定するには、さらに次の諸点を検討しなければならないとする。

2  本件犯罪事実と請求人の結びつきに関する争点について

(一) 本件端布が発見・押収された経緯に関する争点について

一号タンクから五点の衣類が発見されてから一二日後の昭和四二年九月一二日、清水警察署が静岡県浜北市の請求人の実家を捜索したところ、同家奥六畳間整理ダンス上段の小引出し内から本件端布が発見され、請求人の母袴田なつがこれを任意提出したこと、同女はその五日後、検察官に事情を聞かれた際、「前年の九月末ころ、会社から送ってきた請求人の荷物の中に黒っぽい喪章のようなものが入っていたので、喪章かなと思ってベビーダンスの引出しの中にしまっておいた。先日、家宅捜索に来た刑事がこれを見つけて持って行った」「刑事が来たとき家にある洋服やズボン等を全部調べたが、同じような色の生地のものはなかったので、喪章のような黒っぽい布は、前から家にあった生地でないことは確かです」等と述べていること、同女は、第一審において、「黒っぽい端布は、警察が捜索にきて引出しの中にあったと言って自分に見せたときに初めて見た。自分がこがね味噌から来た荷物から出して引出しに入れておいた覚えはなく、また、警察にそのように話した覚えもない」旨供述しているが、この供述はあいまいで前後一貫していないだけではなく、その立場、供述の時期等に徴し、そのまま信用することができないこと、しかも、その際に同女は、「検事には記憶に基づいて正直に述べた。その調書は読んで聞かせてもらい、間違いないと承認して名前を書いた」旨証言していること等の事情に照らすと、本件端布がこがね味噌から請求人の実家に送られた荷物の中にあり、これが請求人のものであることは間違いないと考えられるとする。

(二) 本件端布と本件ズボンとの関係に関する争点について

第一審で取り調べた近藤彰作成の鑑定書は、両者の生地は同一種類の生地と思われ、生地の染色は似ているものと思われると結論し、当審で取り調べた砺波宏明作成の鑑定書でも、両者は全く同一の生地であるかあるいは極めて酷似した生地であると結論しているので、殆ど疑問を入れる余地はなく、また、近藤鑑定中、両者に一致する切断面があるとの結論部分も相当であると考えられるとする。

(三) 請求人が本件発生当時本件ズボンをはくことができたかとの争点について

当審における三回にわたる着装実験によれば、請求人はいずれの機会にも、本件ズボンをはくことができなかったが、関係証拠によると、本件ズボンの腰まわりの縫製寸法は八三ないし八五センチメートル程度であったと認めるのが相当であること、当審鑑定人佐々木繁夫に、本件ズボンの寸法を二回にわたり測定させたところ、その腰まわりは、一回目が六八センチメートル、二回目が七〇センチメートルであったこと、この原因は、小売店で販売する時に腰まわりを約三センチメートル詰めたとみられることのほか、生地そのものが一年以上も水分・味噌成分を吸い込んだ後、長期間証拠物として保管されている間に自然乾燥して収縮したこと等によるものと認められること、請求人が自分のものに間違いないとして差し出しているズボンの腰まわりの寸法は一回目は八〇センチメートル、二回目は七六センチメートルと測定され、当審での着装実験の結果、請求人は右ズボンを十分にはくことができたこと、勾留中の運動不足によると思われる請求人の体重の増加等の事実に徴すれば、請求人は本件発生当時本件ズボンを十分にはけたものと認定するのが相当であるとする。

(四) 一号タンクから同時に発見された本件パンツその他の衣類に関する争点について

関係証拠によれば、本件パンツは、請求人のものである疑いが極めて濃厚であり、その他の衣類についても、本件ズボンが請求人のものと断定できることや他の衣類も同じ麻袋の中に血に染まって一緒に入っていたこと、これらの衣類は、その種類等からみて、同一人が同時に着用していたものとみるのが自然であること等の状況に徴すれば、請求人のものであると認めた原判決に不合理な点はないとする。

(五) 清水郵便局で発見された現金等が在中していた本件封筒に関する争点について

関係証拠によれば、在中していた現金と本件賍品が同一であるとする推認は十分肯認できること、また、第一審で取り調べた筆跡鑑定だけから、本件封筒の差出人が丙下秋子であると断定することはちゅうちょされるが、かなりその疑いが強いことは、右筆跡鑑定の結果によっても認められ、請求人と丙下との関係について証拠上認定できる諸事情と右筆跡鑑定の結果とを総合すれば、丙下が請求人から現金を預かり、そのうちの千円札二枚に「イワオ」と書き、また本件便箋に「ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアツタツミトウナ」と書き、本件封筒に「シミズケイサツショ」と書いて、現金五万七〇〇円入りの封筒を清水警察署宛発送した可能性は極めて強いと認められるとする。

(六) くり小刀の購入に関する争点について

第一審での証人戊橋冬子の供述によれば、本件直後の七月ころ、警察官が同女方店舗(沼津市丁刃物店)に来て、こがね味噌の従業員の写真二〇枚以上を同女に示したところ、同女が請求人の写真をさして「見覚えがある、二、三か月前ころに見たような感じがする」旨述べたこと等の事実が認められるが、これらの点については、当審での同女の供述に徴しても別に疑問が生ずることはなく、また、第一審判決は、こうした事実を摘示するにとどまり(これらより推認しうる事実は、せいぜい請求人がくり小刀を同店で買う機会・可能性があったという程度と思われる)、これらの事実から請求人が本件くり小刀を同店で購入したとまで認定しているものではないとする。

(七) 請求人の右肩の傷と、麻袋に入っていた半袖シャツの損傷との関係に関する争点について

関係証拠によれば、請求人の右肩の傷は半袖シャツの右袖の損傷部位とおおむね一致していること、一号タンクから半袖シャツと同時に発見されたスポーツシャツの右袖上部にも不整形の損傷が認められること等の事情を総合すれば、請求人の右肩の傷は、右半袖シャツ、スポーツシャツを着用した上から何らかの作用を受け受傷したと認めるのが相当であるとする。

(八) 請求人の左手中指の傷に関する争点について

関係証拠によれば、右傷が鋭利な刃物によるものであると認定した第一審判決に何ら不合理な点はないとする。

(九) 請求人のアリバイについて

関係証拠を検討すると、請求人の弁明をそのまま信用し、請求人が犯行時自室で寝ていたと認めることは困難であるとする。

3  請求人の九月九日付け検察官調書の任意性に関する争点について

右検察官調書の任意性については、検察官は取調べにあたり、請求人に「警察と検察庁は違うのだから警察の調べに対して述べたことにはこだわらなくていい」旨あらかじめ注意していること、検察官調書の内容は、それまでの司法警察員調書の繰り返しや要約ではなく、それなりに独自の供述部分を含んでいること、また実質的にみると、請求人の司法警察員に対する供述調書にも誘導によるのではないかとみられる部分(例えば、パジャマを着て犯行に及んだという点)がある反面、誘導によっては引き出しがたいと思われる部分(例えば、丙下に五万円を預けたという点については、捜査官がその金額まで推測し、誘導することは難しいと考えられる)も少なくなく、その供述のすべてが司法警察員の想像・推理を背景にする威迫ないし誘導によって得られたものと断ずることは困難であること等の事情に徴すれば、第一審判決が、起訴後の検察官調書の証拠能力を否定したのは、公正手続の保障という点に主眼を置いた結果と思われるばかりでなく、仮に司法警察員の取調べに請求人に威圧を与えるような不当な点があったとしても、これが検察官の取調べの際にも強く影響しているとは認められない。したがって、第一審判決が、九月九日付け検察官調書にだけ任意性を認めたのは別に不合理ではないとする。

4  請求人の九月九日付け検察官調書の信用性等に関する争点について

右検察官調書の内容は、パジャマを着て刺切傷の犯行に及んだとする点等に明らかな虚偽があるが、これを根拠に調書全体の信用性を否定するのは相当でない。また、請求人には、一雄との格闘時の状況の自供内容に相応するような打撲擦過傷や本件ズボンの損傷が認められること、強取した現金のうち五万円を丙下秋子に預けたとの自白の数日後に清水郵便局でほぼ同額の現金の入った清水警察署宛の封筒が発見され、差出人は丙下であるとの疑いが強かったこと等自白内容の有力な裏付けも存在する。さらに、凶器の購入、左手中指に傷を受けた経緯、工場の風呂場への出入り、金袋三個の強取のてんまつ、混合油を運んだポリ樽等についての供述も、遺留品、焼死体の状況、建物の構造等の客観的状況に符合しあるいは矛盾がない。犯行の動機、侵入経路・脱出口、手拭いの血痕付着、雨合羽着用等についての供述も、請求人が犯人であると認めるについて特に不合理な点は存在しない。

以上に徴すれば、右検察官調書は少なくとも請求人が本件犯行を犯したという点及びその犯行の大筋については十分に信用できると認められるとする。

5  結論

以上の諸事情、特に、犯人が本件刺切傷の犯行時に着用していたと認められる本件ズボンが請求人のものと断定できること、このズボンと同時に発見された緑色パンツ、半袖シャツその他の衣類も請求人のものである疑いが強いこと、請求人の右上腕前部に傷痕があり、これが犯行時に着用していたとみられる半袖シャツの右袖上部の損傷におおむね一致し、しかもその損傷部位に内側からにじみ出た状態で請求人の血液型と同型の血痕が付着していたこと、請求人の右下腿中央から下部前面に打撲擦過傷痕があり、本件ズボンの右足前面下部にもそれに相応するような損傷があること、本件の直後請求人の左手中指に鋭利な刃物によると思われる切創があることが判明したが、これは犯行の際受けた疑いが強いこと、請求人のパジャマに請求人以外の、しかも被害者らの血液型と合致する人血及び放火の用に供された混合油の付着が認められ、請求人はこれについて合理的に弁明できないこと、請求人には犯行時のアリバイがないこと等の事情を総合すれば、本件の犯人は請求人であると断定でき、請求人の九月九日付け検察官調書の内容は、犯行の際本件パジャマを着ていたとの点及びこれに関連する供述部分を除き、大筋では犯行現場の客観的状況、種々の遺留品等にも矛盾せず、かえってこれらを合理的に説明するのに役立つと認められると結論づけている。

四  上告審判決

最高裁判所は、「請求人本人の上告趣意及び弁護人らの上告趣意は、いずれも事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。なお、記録によれば、第一審判決摘示の犯罪事実を認めることができるから、これを維持した原判決には事実の誤認はない。その他記録を調べても同法四一一条を適用すべき事由は認められない」旨判示して上告を棄却した。

五 確定判決の証拠構造

以上から明らかなとおり、第一審判決及び控訴審判決は、まず、請求人の九月九日付け検察官調書を除いた他の証拠を検討し、①被害現場の状況、被害者らの死体の状態、被害現場から凶器と認められるくり小刀や犯人が侵入時に着用していたとみられる雨合羽が発見されたこと、放火に使用された油が被害現場裏のこがね味噌工場内にあった混合油と認められること、一号タンク内から発見された五点の衣類が犯行着衣と認められること、工場内数箇所に血痕の付着が認められたこと、請求人のパジャマに人血及び混合油が付着していたこと、被害者方から金袋三個が紛失し、そのうちの二個が被害者方裏口付近で発見されたこと等の諸事実により、本件犯罪事実の存在が認められるとし、②右の諸事実に加えて、一号タンク内から発見された五点の衣類のうち、ズボンは請求人のものと断定でき、緑色パンツ、半袖シャツ等の衣類も請求人のものである疑いが強いこと、請求人の右上腕部の傷痕が右の半袖シャツの損傷とおおむね一致し、その損傷部位に内側から付着する血液の血液型が請求人の血液型と一致すること、請求人の右下腿部の傷痕とズボンの損傷が相応すること、請求人の左手中指に鋭利な刃物によるものと思われる切創があり、これは犯行の際受けた疑いが強いこと、請求人のパジャマに人血及び混合油が付着していたことについて請求人は合理的に弁明できないこと、本件犯行時工場従業員寮の自室で寝ていたとする請求人のアリバイの弁明をそのまま信用することは困難であること等の諸事実をも総合して、請求人と本件犯罪事実との結びつきが認められるとするものである。

第一審判決は、そのうえで、請求人の右検察官調書の内容を個別に客観的証拠と対比して検討した結果、パジャマを着て本件刺切行為に及んだとの供述部分は明らかに虚偽であり、凶器となった本件くり小刀を購入した経緯、一雄と格闘中に左手中指に傷を受けたとする供述部分等は、客観的証拠と符合しあるいは矛盾しないと判断しているにとどまるのであって、前記のとおり、請求人の九月九日付け検察官調書を(証拠の標目)欄に挙示しておらず、控訴審判決も、右検察官調書は「少なくとも請求人が本件犯行を犯したという点及びその犯行の大筋については十分に信用できる」等と説示しているにすぎない。

右のとおり、第一審判決及び控訴審判決は、請求人の右検察官調書を、請求人と本件犯行との結びつきを積極的に裏付ける証拠のひとつとして検討しているものではなく、また、右調書の内容が細部に至るまで全面的に信用できるとしているものでもない。

弁護人は後記各主張書面において、「第一審判決及び控訴審判決は、請求人の九月九日付け検察官調書を、請求人と本件犯罪事実とを結びつける決定的証拠のひとつであるとしているものと解され、したがって、右調書の内容の一部が虚偽であると認められれば、請求人が無罪であることが明らかになる」として、右調書の内容が信用しがたいものである旨の主張をるる展開しているが、このような主張は、右各判決の証拠構造に照らし、明らかに失当である。

第二  本件再審請求の理由

一  本件再審請求の理由は、〈略〉に記載のとおりであるから、これらを引用する。

二  弁護人らの主張は多岐にわたるが、再審事由として主張するところは、次のとおりと解される。

1  脱出口について

第一審判決は、請求人が被害者らを刺切した後、いったん裏口の扉から脱出し、その後混合油を持って再び裏口から一雄宅に入り、放火の後同所から脱出したとの自白は、実況見分調書等の客観的証拠と合致しているとしており、この点に関する請求人の自白はかなり信用性が高いとしているが、新たに提出する①前田尚美ら作成の「裏木戸の出入り可能性に関する鑑定書」②横田英嗣作成の「木戸の出入り写真に関する鑑定書」並びに③弁護士小川秀世作成の「警察官による『偽りの裏木戸実験写真』の再現実験報告書」(以下「再現実験報告書」という)及び右実験の状況等を撮影したビデオテープ一本によると、右裏口からの出入りが不可能であることは明白であって、右各証拠は無罪を言い渡すべき明らかな証拠である。また、第一審判決は、請求人が裏口から脱出したとの認定をした根拠となる証拠として、司法警察員北条節次作成の捜査報告書(捜査官が一雄方の裏口扉を再現・製作して実験してみたところ、請求人の自白どおりの方法による脱出が可能であったとする内容のもの)及び同人の第一審における供述をあげているが、右北条報告書は偽造(虚偽公文書作成)されたものであり、右北条証言は虚偽である。公訴時効が完成しているため、このことを確定判決により証明することはできないが、前掲前田鑑定書、横田鑑定書及び再現実験報告書等により証明する。

なお、北条報告書は、第一審における検察官の取調べ請求に対し、弁護人が不同意とし、検察官が請求を撤回しているが、第一審判決の(証拠の標目)欄に掲げられており、かつ証人北条節次に対し右報告書を示しつつ尋問が行われているから、右報告書については事実上証拠調べがなされているといってよい。したがって、右報告書は、刑事訴訟法四三五条一号にいう「原判決の証拠となった証拠書類」に該当することが明らかである。

2  凶器について

(一) 本件くり小刀と本件鞘との不一致について

確定判決は、本件くり小刀と本件鞘とが完全に合致すると認定しているが、新たに提出する①井野博満作成の鑑定書及び②伊藤信夫ら作成の鑑定書によると、本件くり小刀と本件鞘とは合致せず、一対となった商品でないことが明らかであり、そうすると、請求人の自白と客観的事実が明確に矛盾し、凶器と請求人との結びつきが説明できなくなり、請求人を犯人とした確定判決は誤りであることに帰するから、右各証拠は無罪を言い渡すべき明らかな新たな証拠である。

(二) 被害者らの各成傷と本件くり小刀との不一致について

確定判決は、被害者らの各成傷は、本件くり小刀によってできたと認定しているが、新たに提出する次の各証拠によると、本件くり小刀のみが本件犯行の凶器であるとの認定ないしは本件くり小刀が本件犯行の凶器であるとの認定が誤りであることは明らかであり、請求人の自白と矛盾するので、次の各証拠は無罪を言い渡すべき明らかな証拠である。

(1) 新たに提出する押田茂實作成の回答書によると、夏子の胸部損傷中に、本件くり小刀の長さでは達しない傷があり、また、二郎の肝臓に達する損傷も本件くり小刀とは適合しないことが明らかである〔なお、同時に提出する弁護士小倉博作成の報告書二通(弁護人が本件くり小刀をノギスで計測した結果を報告したもの及び右報告書の計測を補充するもの)並びに静岡A女学院作成の証明書(夏子が通学していた同学院において、昭和四一年四月一〇日身体検査記録に基づく同女の体格を証明したもの)は、右押田回答書の資料となった証拠である〕。

(2) 新たに提出する横山正義作成の鑑定書によると、二郎の肝臓に達する損傷等、被害者らには本件くり小刀では成傷不可能な傷があることが認められる。

(3) 新たに提出する①津田征郎作成の鑑定書三通は、夏子の胸部損傷のひとつは、本件くり小刀では成傷が不可能であるとし、また、二郎の肝臓に達する損傷は、本件くり小刀ではやや無理があるとする。

(4) 新たに提出する①白砂巌作成の調査報告書及び研究報告書によると、犯行に使用された凶器は、三種ないし四種と考えられ、犯人は複数であることが明らかである。

(5) 新たに提出する①夏子の左前頭部の円形陥没様成傷の状況を示す鑑定書添付写真の拡大写真一葉及び春子の右顎部を貫通した細長型刺突傷の状況を示す鑑定書添付写真の拡大写真一葉並びに②静岡県警察本部刑事部捜査一課、同鑑識課作成の「清水市○○会社重役一家4名殺害の強盗・殺人・放火事件捜査記録」と題する書面によると、夏子の左前頭部陥没様傷痕及び春子の右顎部を貫通した成傷は、本件くり小刀以外の二種の凶器が使用されていることが明らかである。

(6) 新たに提供する門間正輝作成の動物屍体刺突実験報告書によると、本件くり小刀の強度は、連続して四名を殺害するに耐えないことが明白である。

(三) 本件くり小刀の購入可能性について

新たに提出する①鈴木武秀作成の「戊橋四郎、同冬子の証言の録音テープ反訳書」と題する書面、②同人作成の「戊橋四郎の証言の録音テープ反訳書」と題する書面、③同人作成の同日付け「戊橋冬子のテレビインタビューに対する言動のテレビ放映記録報告書」と題する書面及び④「平成四年六月一七日、沼津地区センターにおいて行なわれた戊橋四郎の証言の録音テープ反訳書」と題する書面(後日追完予定としているが未提出)によると、沼津市丁刃物店において、請求人に本件くり小刀を販売した事実がないことが明らかであり、請求人と凶器との結びつきが否定されるので、請求人は無罪である。

3  一号タンクから発見された五点の衣類について

(一) 端布発見の経緯について

確定判決は、昭和四二年九月一二日に、請求人方実家から本件ズボンの端布が発見されたとするが、新たに提出する昭和四一年八月二一日の毎日新聞記事により、被害者らの葬儀の際、請求人が喪章を着用していたことが認められることからすると、請求人方実家において、こがね味噌の工場から請求人方実家に送られてきた荷物の中にあったのは本件端布ではなく、右喪章とみるのが自然である。

(二) 五点の衣類の入った麻袋が一号タンクに入れられた時期について

確定判決は、右麻袋が一号タンクに入れられたのは、右タンクに新たに味噌が仕込まれた昭和四一年七月二〇日以前であるとするが、新たに提出する①弁護士小川秀世作成の味噌タンク実験報告書、②同人作成の写真報告書、③鈴木武秀撮影の「生みそまみれ麻袋等の写真」と題する写真二枚及び「本件麻袋の接写写真」と題する写真五枚並びに④門間正輝作成の麻袋見分報告書によると、一号タンクに本件麻袋が入れられた時期は、右タンクに新たに仕込まれた味噌が出荷のために取り出されるようになった昭和四二年七月二五日以降、本件麻袋が発見された同年八月三一日までの間と考えられるから、本件麻袋を一号タンクに入れたのは請求人ではない。

(三) 本件ズボンのサイズについて

新たに提出する①袴田秋子作成の平成四年五月二〇日付け陳情書、②請求人から袴田秋子宛の昭和五〇年四月二一日付け葉書写し、③請求人から母親宛の昭和四二年九月付け書簡写し及び④請求人作成の同月六日付け書簡写しを従来の証拠に加味して検討すると、本件ズボンは、請求人にはサイズが大きすぎるので、請求人のものでないことが明らかである。

(四) 衣類に付着した血痕の不自然さについて

新たに提出する①請求人作成の昭和四二年九月六日付け書簡の一部抜粋写し、②門間正輝作成の血液汚染着衣の写真報告書及び日本テレビ五月二十七日放映のビデオスティール写真報告書並びに③請求人から母親宛の昭和四二年九月六日付け手紙抜粋写しを従来の証拠に加味して検討すると、一号タンクから発見された五点の衣類には人為的に血液をこすり付けた痕跡等があり、右各衣類が犯行着衣ではないことは明らかである。

(五) 衣類の損傷等について

新たに提出する、①鈴木武秀撮影の白半袖シャツの右肩部破損穿孔の接写拡大写真一枚、②小川秀世撮影の白半袖シャツの右肩部破損穿孔の接写拡大写真一枚、③「スポーツシャツ及び白半袖シャツの各右肩部破損穿孔の概念図」と題する書面及び④平野雄三作成の「破損孔の位置形状対比概念図」と題する書面によると、本件半袖シャツの破損孔は、何者かが作為的に別々に刺突したものと認められ、右半袖シャツは犯行着衣ではない。

4  請求人の自白等について

(一) 新たに提出する静岡県警察本部刑事部捜査一課、同鑑識課作成の「清水市○○会社重役宅一家4名殺害の強盗殺人、放火事件捜査記録」と題する書面(以下「捜査記録」という)によると、パジャマの血痕、油の付着に関する鑑定が誤っていること及びパジャマに関する誤った鑑定を前提にして不当な自白強要が行われたことが明白である。

(二) 新たに提出する浜田寿美男作成の鑑定書によると、請求人の自白は単に信用できないというにとどまらず、無実の者がした虚偽の自白であることが明らかである。

5  混合油について

控訴審判決は、被害者らの着衣に付着した油と工場内にあった混合油との同一性及びパジャマに油が付着していたかの争点について、いずれも肯定しているが、これは、控訴審で取り調べた中沢鑑定を正当に理解していないため生じた誤りであり、この点は、新たに提出する弁護士中村光央作成の中沢教授からの聴き取り報告書からも明白である。

6  丙下秋子に対する金の預け渡しについて

新たに提出する①木下信男作成の鑑定書及び②弁護士大蔵敏彦作成の電話聴取書(後日追完予定とされているが未提出)によると、本件封筒及び本件便箋の文字を書いたのは丙下秋子でないことが明らかである。

7  請求人の人格について

新たに提出する請求人作成の日記・書簡の抜粋集「主よ、いつまでですか―無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡」によると、請求人の善人格、否認の一貫性は明らかであり、請求人の無罪を立証する。

8  ゴム草履に人血の付着がないことについて

新たに提出する鈴木武秀撮影のゴム草履写真三枚及び門間正輝作成のゴム草履亀裂部検証報告書によると、請求人が犯行時に履いていたとされている右ゴム草履には、人血の付着または析出浸潤が認められず、したがって、請求人が現場に侵入していないことが明らかである。

9  請求人の右手甲に傷が存在しないことについて

新たに提出する①請求人が発送した昭和五七年九月五日付け書簡の写し、②平野雄三作成のプロボクシング協栄ジム・古口哲チーフトレーナーのテレビインタビューに対する言動のテレビ放映記録、③同人作成の同日付け袴田巌さんの右手甲の傷の不存在についての報告書及び④被害者甲本一雄の顔面下顎部付近の負傷の拡大写真を従来の証拠に加味して検討すると、請求人の右手甲には、当時傷がなかったことが認められるから、請求人が右手甲の拳骨で一雄の顎のあたりを殴ったとの請求人の自白に信用性がないことは明らかであり、請求人は無罪である。

10  請求人の右上腕部に創傷が存在しないことについて

新たに提出する請求人作成の日記・書簡の抜粋集(前記7で提出されたもの)を従来の証拠に加味して検討すると、事件発生当日請求人の右上腕部に創傷は存在していないことが認められ、本件半袖シャツ等の損傷と請求人との関係が否定されるので、請求人は無罪である。

以上提出した各証拠は、いずれも請求人に無罪を言い渡すべき明らかな新たな証拠であるから、刑事訴訟法四三五条六号により、また、判決の証拠となった北条報告書が偽造であること及び北条証言が虚偽であったことが前述のとおり証明され、いずれも確定判決を得ることができない場合であるから、同法四三七条、四三五条一号、二号により、再審開始の決定を求めるというものである。

なお、安倍弁護人が「二郎の頭部T字型成傷は本件くり小刀によるものではない、」「本件端布発見経緯は不自然である」旨主張するところは、新たな証拠を提出することなく、確定判決の判断の不当をいうにとどまり、再審事由としての主張とみることはできない。

第三  当裁判所の判断

一  脱出口に関する所論について

弁護人は、「北条報告書は、刑事訴訟法四三五条一号にいう原判決の証拠となった証拠書類である」旨主張し、これを前提として、「新証拠である前田鑑定書、横田鑑定書及び再現実験報告書等によると、犯行現場の裏口からの出入りは不可能であることが明白となった。したがって、請求人の自白する方法による裏口からの出入りが可能であったとする北条報告書は内容虚偽の捜査報告書であり、北条証言は偽証である」とし、「真の脱出口が裏口でないことになれば、本件犯行とこがね味噌工場との関連が否定され、真犯人がこがね味噌の関係者である必然性がなくなるので、この問題は、請求人が犯人であるとの認定の変更を要求するものである」等と主張するので、以下検討する。

1  まず、弁護人は、北条報告書が刑事訴訟法四三五条一号にいう「原判決の証拠となった証拠書類」に該当する旨主張するが、なるほど、第一審判決は、その(証拠の標目)欄中に北条報告書をあげているところ、右報告書は、検察官が取調べ請求したものの、弁護人が不同意としたため、検察官が請求を撤回しており、確定記録中には存在しない(北条報告書は、再審請求申立後に検察官から提出されている)のであって、第一審判決が(証拠の標目)欄に北条報告書を挙示しているのは、過誤である。したがって、北条報告書は、刑事訴訟法四三五条一号にいう「原判決の証拠となった証拠書類」とみることはできず、この点についての弁護人の主張は失当である。

2  また、弁護人は、「脱出口、脱出方法に関する自白の信用性の問題は、請求人が犯人であるとの認定の変更を要求するものである」旨主張するが、第一審判決及び控訴審判決は、請求人の九月九日付け検察官調書の内容をその細部に至るまで全面的に信用できるとしているものではなく、これを、請求人と本件犯罪事実とを結びつける決定的証拠のひとつとしているものでもないことは、前記第一の五(確定判決の証拠構造)で説示したとおりである。

本件犯行と工場との関連については、①放火に使用された油が工場内にあった混合油と認められること、②犯人は、工場内にあった雨合羽を着用して一雄方に至ったものであること、③犯行着衣が工場内の一号タンクから発見されたこと、④工場内の数箇所に血液反応が認められたこと、⑤工場内の排水溝の中から人血が付着した手拭いが発見されたこと、⑥工場内従業員寮の請求人の部屋にあった請求人のパジャマに他人の血痕及び混合油が付着していたこと等客観的証拠から認められる諸事実によって明らかにされているところである。

したがって、控訴審判決が説示するとおり、犯人の脱出口が裏口であったか否か、その脱出手段はどのようなものであったかは、本件犯行と工場との関連を左右するものではなく、また、請求人と本件犯行との結びつきについての判断に影響を与えるものでもないというべきである。

そうしてみると、前田鑑定書、横田鑑定書及び再現実験報告書等の各証拠が、請求人が犯人であるとの認定の変更を要求するものであるとする弁護人の主張は、それ自体において首肯しがたいところであるが、なお、所論に鑑み、右各証拠について、順次検討を加えることとする。

3 前田鑑定書について

前田鑑定書の内容は、「確定記録中の実況見分調書等に基づいて被害現場の裏口扉の実物大模型を製作し、請求人の自白調書(九月九日付け検察官調書)中にあるように、上部の留め金がかかった状態で、下部を押し広げて出入りすることが可能か否か等を実験した結果、沓摺が機能する場合には、扉の最下部で三二センチメートルたわんだときに留め金が抜け、沓摺が機能しない場合には、約三七センチメートルの隙間ができたときに留め金が抜けたことから、上部留め金が抜けることなく、人の出入り可能なたわみが生じることは考えられない」とするものであり、弁護人は、「本鑑定書により、裏口からの脱出は不可能であることが明らかになった」等と主張する。

しかし、確定記録中の裏口扉の状態に関する関係証拠(検証調書及び実況見分調書等)によると、右各証拠においては、裏口扉の寸法や留め金の大きさ等の概略が計測されているにとどまり、扉や留め金の細部の計測や、留め金を固定するネジの長さ等の計測は行われておらず、扉の木戸部や張られていた鉄板の材質、ヒンジ等の状態については何ら記載がなく、扉等を撮影した添付写真も数枚しかないのであって、こうした間接的で不十分な資料から製作された模型が実際の裏口扉を再現したものといえるのかについては、多分に疑問の生ずるところである。

また、扉の材質についてみると、本鑑定書には、前記実況見分調書添付の写真から杉材と認定したと記載されているが、そもそも写真のみによって材質を認定できるかが問題である。さらに、前田鑑定書で製作された模型の木戸の中框は、実物よりも少なくとも三センチメートル太いものが使用されていること(このことは鑑定書の記載自体により明らかである)、上部留め金やそれを固定するネジの長さ等については本鑑定書中には何ら記載がないが、本鑑定書の提出後に検察官が提出した検察事務官作成の捜査報告書によると、前田鑑定書で使用されている留め金やネジの長さ等と明らかに異なること(この点は弁護人が自認している)、右検察事務官作成の捜査報告書によると、実際の留め金のメス金具は折り曲げて縦框に取りつけるようになっていたところ、前田鑑定書においては(その添付写真によると)、メス金具はまっすぐ伸ばした形で取りつけられていること等の諸点において、本実験で使用された模型の扉と実物の扉との間に差異があることが認められる。

ところで、本鑑定書においては、本実験で考えられる誤差として、①中框が前記のとおり実物より太くなったことから、たわみが少なめに出ていることが考えられるが、この誤差は一、二センチメートルと予想される、②扉の材質が堅木であった場合には、引き抜き耐力は大きくなるが、たわみも小さくなるので、効果が互いに打ち消しあう、③実際の扉の方が老朽化しているので、たわみは少ないと考えられる等とし、こうした誤差を考慮に入れても、上部留め金が抜けることなく人の出入り可能なたわみが生じることは考えられないと結論づけている。

しかし、これらの点について、本鑑定書には、①中框が実物より太くなったことの影響が、一、二センチメートル程度にとどまるとする論拠が明らかにされていないこと、②扉の材質が堅木であった場合、引き抜き耐力とたわみの効果が互いに打ち消しあうとしても、本鑑定書における最終的な結論に影響を与えないといえるのかが不明であること、③実際の扉は、本件犯行まで約五〇年間使用されてきたものであるから、木枠、ヒンジ等の扉の細部が相当程度老朽化し、きしみや遊びが生じていた可能性があることが考えられるのに、これらの点について全く考慮されていないこと等の疑問点がある。

さらに、留め金の取り付け方やそれを固定するネジが異なること等による誤差の問題は、本鑑定書の結論に大きな意味を持つものと考えられるところ、この点については、本鑑定書において何ら考慮されておらず、検察官が前記検察事務官作成の捜査報告書を提出した後も、弁護人からこの点に関する追加的な実験ないし論証はなされていない。

そうしてみると、このような模型の扉を、実際の裏口扉を再現したものとみなすことは困難であるから、実際の裏口扉において上部留め金をかけたまま人が出入りすることは不可能であるとする本鑑定書の結論を受け入れることはできない。

なお、弁護人は、「本鑑定書により、犯人が裏口から脱出することは不可能であることが明らかになった」から、「真犯人は、一雄方の表口シャッターから出入りした可能性がある」旨主張するので、この点につき付言するに、仮に、本鑑定書記載の実験の結果をそのまま受け入れられるものであるとしてみても、第一審判決の摘示する裏口扉付近の状態に関する諸事情〔①本件後の検証時、扉の上部の留め金は、オス・メスの金具がかかったままの状態で、扉から二メートル位内側の通路上に落ちていたこと、②火災発生直後、裏口の左右二枚の扉は一〇センチメートルから二、三〇センチメートル開いていた、あるいは下の方が広く開いて(いわゆるソビレタ形になって)いたという目撃者が多かったこと、③その後消火作業が済んだときには、扉は閉まっていたが、これは、当初開いていた扉が屋根等からの落下物等に押されて閉まったためであると考えられること〕に照らすと、犯人が上部留め金がかかった状態で扉を無理に押し広げようとしたところ、右留め金が抜け落ちたので、そのまま裏口から脱出したと想定することも、格別不自然、不合理ではないというべきである。

さらに、金袋二個が裏口外側付近に落ちていたこと、本件犯行と工場との関連をうかがわせる前記諸事情(①放火に使用された油が工場内にあった混合油と認められること、②犯人は、工場内にあった雨合羽を着用して一雄方に至ったものであること、③犯行着衣が工場内の一号タンクから発見されたこと、④工場内の数箇所に血液反応が認められたこと、⑤工場内の排水溝の中から人血が付着した手拭いが発見されたこと、⑥工場内従業員寮の請求人の部屋にあった請求人のパジャマに他人の血痕及び混合油が付着していたこと等)、本件被害現場と工場との位置関係(一雄方裏口から工場正門までは東海道本線を隔てて約31.8メートルの距離であること、同人方表口から工場正門に行くには迂回する形になること)、表口シャッターは表通りに面しており、開けると音が出るから、ここから犯人が侵入・脱出する可能性は常識的に考えても低いこと等を合わせ考えると、犯人が裏口から脱出したとの第一審判決の判断自体は相当と認められる。

したがって、本鑑定書により裏口からの脱出が不可能であることが明らかになったとする弁護人の主張は採用することができない。

4 横田鑑定書について

横田鑑定書の内容は、「北条報告書に添付された写真三葉(添付写真(一)は、捜査官が製作した左右の扉の模型が閉じている状態での全景を撮影したもの、同(二)及び(三)は、左右の扉の下方の隙間に人が体を入れている状態を撮影したもの。ただし、写真(二)及び(三)には扉の上部の留め金付近は撮影されていない)を接写拡大した写真を用いて、左右の扉の開き具合を右(二)及び(三)の拡大写真上で計測し(左側の扉の縦框の稜線上に代表的なポイントを一三点選び、その各ポイントの高さyを計測し、また、この各ポイントにそれぞれ対応する点を右側の扉の縦框の稜線上にとり、左側の扉の縦框の稜線上の各ポイントと右側の扉の縦框の稜線上の各対応点との距離xを計測する)、その結果、左右の扉の開き具合は、上方部分にしなりがみられると判断し、そのしなりの曲線を最小二乗近似多項式を決定する計算機プログラムを用いて求め、その曲線を二次関数と判断して、右二次関数上でxの値がゼロとなる位置(左右の扉が接する位置)を計算した結果、その位置は、拡大写真(一)との比例計算により推定される拡大写真(二)及び(三)における留め金の位置よりも、約1.8倍ないし1.9倍上方になること等から、北条報告書添付写真(二)及び(三)において上部留め金の位置で左右の扉が接しているとは考えにくい」とするものであり、弁護人は、「本鑑定書により、北条報告書添付写真(二)及び(三)は、上部留め金がかかっていない状態で撮影したものであることが明らかになった」と主張する。

しかし、本鑑定書は前記のとおり、左右の扉の開き具合を計測するにあたり、左右の扉の縦框の稜線上に設定した各ポイント間の距離を計測するという方法を取っているのであるが、本鑑定に使用された北条報告書添付写真の接写拡大写真はかなり不鮮明なものであって、右拡大写真上の各框の稜線を正確に特定することは極めて困難である。のみならず、北条報告書添付写真(二)及び(三)の扉の縦框の稜線付近は、人の身体や留め金等で隠れている部分が多く(特に写真(二)については左側の扉の稜線上に選んだ一三のポイントのうち、八ポイントが身体で隠れている)、右部分の各ポイントの位置は、本鑑定人が推測して決定したものと考えざるをえない。このように、個々のポイントの位置を決定するための基礎となる各框の稜線自体が不鮮明で正確に特定できないうえ、推測に基づく特定部分も多数含まれているのであるから、そうした框の稜線上に設定した各ポイント間の距離を測定した結果というものは、かなり恣意的な数値といわざるをえない。そうしてみると、仮に、扉の開き具合のしなりの曲線を二次関数として左右の扉が接する位置を計算し、それを拡大写真(一)との比例計算により推定される留め金の位置と比較するという本鑑定書の方法が是認できるものとしても、このような恣意的な数値をもとに計算して得られた結論をそのまま受け入れることは困難である。

したがって、本鑑定書により、北条報告書添付の写真(二)及び(三)は、上部留め金がかかっていない状態で撮影したものであることが明らかになったとする弁護人の主張は採用することができない。

5 再現実験報告書等について

本報告書の内容は、「北条報告書に添付された写真三葉がどのような方法で撮影されたかを明らかにするため、捜査官が実験用に製作した裏口扉と同様の材質、構造、大きさの扉を製作(扉の寸法は、現場の裏口扉の高さと横幅の寸法と、北条報告書添付写真の縮尺を計算して算出した寸法とにより、材質は、写真から杉材と推定し、ヒンジ及びかんぬき金具については、証拠物の寸法を実測して製作したとする)して実験を行った結果、①本実験で新たに製作した扉(二枚の扉を内側に引っ張って開く構造)の内側の上部留め金を外しておき、扉(二枚のうちの大きい方の扉)の外側の上部に別に金具を取り付け、補助者にこの金具を外側から引っ張り続けさせたまま、被験者が二枚の扉の隙間にできるだけ体を入れた状況を撮影してみたところ、北条報告書添付写真(二)及び(三)がほぼ再現できたこと、②扉の上部留め金をかけた状態のまま、扉の隙間に人が体を入れたところを写真撮影しようとしたが、隙間に体の全体を入れることは不可能であることが明らかになった」とするものであり、弁護人は、「本報告書から、北条報告書及び北条証言は、実験の内容を偽って捜査報告書を作成し、あるいは公判廷で供述したものであることが明らかになった」と主張する。

しかし、本報告書は、「捜査官が実験用に製作した裏口扉と同様の扉を製作した」とするものの、北条報告書には、捜査官が製作した裏口扉に関しては「現物寸法を指示して製作せしめた」と記載されているのみで、その寸法、材質、構造等についての具体的な記載はいっさいなく、本件裏口扉の現物の寸法、材質、構造等についても確定記録中に詳細な記載がないことは前述のとおりである。そうしてみると、このような不十分で間接的な資料によって製作された扉が、捜査官が実験用に製作した裏口扉を正確に再現したものといえるのかについては、多分に疑問の生ずるところである。

さらに、本報告書は、「前記のような方法で、北条報告書添付写真(二)及び(三)をほぼ再現することができたから、右(二)及び(三)の写真は、上部留め金をかけないまま撮影したものであることが明らかになった」とするのであるが、その内容は、結局のところ、本報告書が採用した方法によっても北条報告書添付の(二)及び(三)とほぼ同様の写真を撮影することが可能であったということを意味するにとどまるのであって、右(二)及び(三)の写真が、本報告書の採用した方法によって撮影されたものであるということまでを断定しうるものではない。また、北条報告書添付の(二)及び(三)の写真と、その再現写真であるとする本報告書添付の写真とを比較すると、双方の写真は、扉の隙間に人が体を入れている状態が似ているだけであって、左右の扉の隙間の開き具合については、北条報告書添付の(二)及び(三)の写真の方が本報告書添付写真よりもたわみが大きく、扉の上部の隙間がより狭くなっていることが明らかに認められ、そうしてみると、扉の上部留め金付近の隙間も、捜査官の実験時の方が小さかったことは明らかであって、本実験により、右(二)及び(三)の写真をほぼ再現できたとする弁護人の主張は失当である。

本報告書が、「上部留め金をかけたままの状態では扉の隙間に人の体全体を入れることは不可能であったことが明らかになった」とする点についても、前記のとおり、本報告書記載の実験に用いた扉が捜査官が使用した扉を再現したものといえるかについて多大な疑問があること、本報告書添付の写真と比較して、北条報告書添付の写真の方が扉の隙間の開き具合のたわみが大きいことに照らすと、本報告書記載の実験の際に扉の隙間に人の体を入れることが不可能であったからといって、捜査官の実験の際にも同じであったことが証明されたとはいえないのであって、本報告書のこの点に関する結論も受け入れがたい。

したがって、本報告書記載の実験をもって、捜査官の実験の再現とみることはできず、北条報告書及び北条証言が虚偽であるとする弁護人の主張は採用することができない。

6  以上のとおりであるから、第一審判決が、証拠として採用しなかった北条報告書を根拠として脱出口が裏口である旨認定しているとする弁護人の主張は失当であり、弁護人が新たに提出した前田鑑定書、横田鑑定書及び再現実験報告書等の各証拠をもって、請求人に無罪を言い渡すべき明らかな証拠ということはできないし、また、右各証拠によって、北条証言が偽証であることについての確定判決に代わる証明があったとみることもできない。

二  凶器に関する所論について

1  本件くり小刀と本件鞘との不一致に関する所論について

弁護人は、「井野鑑定書(本件くり小刀は、根元部において刃体の幅のほうが本件鞘より0.2ミリメートル大きく、鞘に入りきらないが、本件くり小刀と同種のくり小刀の加熱実験の結果によると、加熱による刃体の膨張は0.1ミリメートル以下と考えられ、本件くり小刀と本件鞘が一対のものとして製作されたと考えることは困難であるとする)及び伊藤鑑定書(本件くり小刀と同種のくり小刀を鑑定資料として、その鞘を水に一〇時間浸けた後、自然乾燥をしても、三一時間後では収縮しないという結論が得られたとする)により、本件くり小刀の刃体の幅は、本件鞘よりも大きいこと、火災による刃体の変化も、水濡れによる鞘の変化も、こうした不一致の原因とはなりえないのであるから、本件くり小刀と本件鞘とはもともと一対のものではなかったことが明らかになった」と主張する。

しかし、確定記録中、刃物卸商の乙田五一の司法巡査に対する供述調書及び木鞘製作業者の丙本六雄の司法警察員に対する供述調書によると、右両名は、昭和四一年七月九日、本件くり小刀の刃体を本件鞘に差し入れてみた結果、ぴったり入った旨述べているのであって、当時、本件鞘と本件くり小刀の刃体が一致したことは明らかであり、事件から一五年以上も後に本件くり小刀と本件鞘とを測定したところ、刃体の幅が鞘のそれよりも大きかったとする井野鑑定書を根拠として、もともと本件くり小刀と本件鞘とが一対のものではなかったと解することはできない。また、弁護人は、伊藤鑑定書に基づき、水濡れによる鞘の変化は、くり小刀と鞘との不一致の原因とはなりえないと主張するが、右鑑定書の内容は、鞘を一〇時間浸水させても三一時間後に元の寸法に戻らなかったというものにすぎないうえ、同鑑定書には、この点についてはより精度の高い実験をすることが望ましいと記載されているところ、弁護人からこれを補完する証拠は提出されておらず、伊藤鑑定書が、弁護人の右主張を裏付けるものとはいえない。

よって、この点に関する弁護人の主張は失当であり、井野鑑定書及び伊藤鑑定書をもって、請求人に無罪を言い渡すべき明らかな証拠とはいえない。

2 被害者らの各成傷と本件くり小刀との不一致に関する所論について

(一) 控訴審判決は、前記第一の三1(三)記載のとおり、被害者らの各成傷と凶器との関係について、第一審における鈴木鑑定、山下鑑定に加え、上野鑑定(本件くり小刀は本件成傷器として格好なものと考えられるとする)、内藤鑑定(右上野鑑定の結論を支持する)、被害者らの各刺切創の状態、本件くり小刀や本件鞘に関する種々の証拠等をもとに、本件の凶器は、本件くり小刀であると認めるに十分であると判断している。

なお、本件くり小刀について、控訴審判決は、「全長17.2センチメートル、刃長一二センチメートル、刃巾2.2センチメートルであり、先端が約一センチメートル内外折損していること、その折損の生じた時期については火災前という以外不明であることが明らかである」としており、弁護人が押田回答書と同時に提出した弁護人小倉博作成の報告書は、本件くり小刀の欠損部分の正確な長さを割り出すことは不可能であるとしたうえ、右欠損部分の参考数値として1.85ないし2.5センチメートルとの数値をあげている。

(二) この点に関して弁護人が提出する各証拠について順次検討する。

(1)  押田回答書について

押田回答書の内容は、「上野鑑定及び鈴木鑑定の記載等を総合すると、夏子の左胸部にみられた創傷のひとつは、『左乳嘴外方5.0センチメートルの部分から左第五肋骨を切離し、肺臓を貫通し、心嚢を貫通し、左心室を貫通し、第九胸椎左側を鋭利に切断』した可能性が推察される」としたうえで、「右刺創管の長さを推定するため、夏子の被害当時の年令(一七才)、身長(約一五九センチメートル)、体重(約六〇キログラム)及び胸囲(約八七センチメートル)(以上の数値は、A女学院作成の証明書に記載されている昭和四一年四月当時の夏子の身体測定結果による)に類似した年令、体型の女性二名(ボランティア)(一名は、年令一八才、身長約一六〇センチメートル、体重約六一キログラム、胸囲約九〇センチメートルで、他の一名は、年令一九才、身長約一五九センチメートル、体重約六一キログラム、胸囲約九〇センチメートル)の外表(左乳頭外側五センチメートルの部分)から胸椎左側までの距離を、胸部CT撮影をしてそのCT画像により計測したところ、一名は17.8センチメートル、他の一名は15.9センチメートルであったことから、夏子の右刺創を形成した刃器は、17.8センチメートル前後又はそれ以上、あるいは15.9センチメートル前後又はそれ以上と推定されるので、皮膚・皮下軟部組織の若干の陥凹を考慮したとしても、本件凶器とされるくり小刀では、夏子の前記刺創は成傷不可能ではないかと判断される」とするものである。

しかし、本回答書は、年齢、体型が夏子と類似しているとする女性二名の外表から胸椎左側までの距離を胸部CT画像によって計測した結果を、そのまま夏子の外表から胸椎左側までの距離であると推定しているが、年齢や身長・体重・胸囲がある程度類似していたとしても、外表から胸椎左側までの距離には相当程度個人差があると考えられること、本回答書で計測されているのは僅か二例にすぎず、その二例を比較してみても、外表から胸椎左側までの距離について、両者の間に約1.9センチメートルもの差異が認められること、夏子と年令、体型が類似しているとされている右二名は、いずれも胸囲が約2.8センチメートル夏子よりも大きい等無視しがたい差異がみられること等に鑑みると、こうした二名の女性の外表から胸椎左側までの距離を計測し、その結果をもって、夏子の外表から胸椎左側までの距離であると結論づけ、これによって夏子の右刺創管の長さを推定するのはいささか無謀というほかない。

また、被害部位は、弾力性、可動性に富んでいる年令一七才の女性の左胸部であるから、刃物で刺突された際には、皮下軟部組織等が相当程度くぼむものと考えられるが、本回答書では、そうした点については具体的な考察を加えることなく、刺創管の長さは、静止状態における外表から胸椎左側までの距離をCT画像上で計測した長さの前後あるいはそれ以上であると推定しているのであって、この点も受け入れがたい。

そうしてみると、夏子の刺創に関する押田回答書の結論は、とうてい受け入れることができず、右回答書を確定判決の認定を覆すに足りる明白な証拠とみることはできない。

なお、弁護人は、押田回答書に基づき、二郎の肝臓に達する損傷も本件くり小刀とは適合しないことが明らかである旨主張するが、本回答書には、右刺創については、結論として「一般的には、本件凶器とされるくり小刀でも成傷可能性はあると思われる」と述べているのであって、本回答書の内容が右弁護人の主張を裏付けるものとはいえない。

(2)  横山鑑定書について

横山鑑定書は、「二郎の肝臓に達する刺創は、同人の死体の解剖記録である山下鑑定によると、第六肋軟骨を斜めに貫通し、右胸腔、横隔膜中央前方を経由して肝臓に達している(肝臓の刺創の深さは4.0センチメートル)とされているところ、この第六肋軟骨を斜めに貫通した刺創の長さは、1.2センチメートルであるとされている。そして、本件くり小刀は、刃幅が1.2センチメートルとなっている部分からその先端までの刃の長さは5.7センチメートル以下であるから、くり小刀で形成される第六肋軟骨から先の刺創の深さも5.7センチメートル以下となると考えられるところ、前記のとおり、肝臓には深さ4.0センチメートルの刺創が形成されているので、二郎の第六肋軟骨から肝表面までの距離は1.7センチメートルしかないことになる。そうすると、成人男子の第六肋軟骨から肝表面までの実距離とされている8.0センチメートル以上という数値と比較して大きな差があるから、右刺創を形成した凶器は、刃長13.6センチメートルの本件くり小刀よりも、もっと細くて長いものであったと考えられる」等とし、「被害者らには、本くり小刀では成傷不可能な傷があると考える」とするものである。

しかし、本鑑定人が、本件くり小刀について、その刃幅が1.2センチメートルとなっている部分からその先端までの刃の長さを5.7センチメートル以下であると断定する論拠は、「上野鑑定に添付されている本件くり小刀の写真を観察したところ、刃の部分に多少膨らみがあるので、これを参考にして右のように考えたものである」という程度のものにすぎず、それ以上の根拠は示されていないのであって、その結論は是認することができない。また、第六肋軟骨から肝表面までの実距離が8.0センチメートル以上であるとする点も、身長一七〇センチメートル、体重七二キログラム、年齢・肥満度不詳の成人男子のCT画像における距離が8.0センチメートルであったという一例のみを論拠とするものであるうえ、二郎が当時一四歳の若年で皮膚や胸郭に相当弾力性があったと考えられること、肝臓の位置には個人差があり、横隔膜の動きによっても動くものであること、上野鑑定によると二郎の胸腔内が陰圧であった可能性があるとされていること等についても何ら考慮されていないこと等に照らすと、この点に関する横山鑑定書の結論を受け入れることはできない。

さらに、横山鑑定書が夏子の刺創等を検討するなかで、「凶器で胸骨体を貫通するには『ものすごい力』が必要であり、くり小刀のような凶器では一回の刺力のみでは貫通できないと思われる」等としている点は、控訴審における内藤鑑定(くり小刀を用いた過去の解剖例等を調査したうえで、本件くり小刀による被害者らの各成傷は可能とする)により否定されていること等に照らして受け入れることができない。

以上の次第であるから、横山鑑定書の内容は、全般に信用性に乏しく、これを確定判決の判断を覆すに足りる明白な証拠とみることはできない。

(3)  津田鑑定書について

津田鑑定書は、夏子の刺創について、「鈴木鑑定書によると、同女の胸腔内に達する傷のうち、左心室後壁肺動脈弁口より下2.5センチメートルの部分の心外膜に認められる切創は、第九胸椎左側1.1センチメートルの肋膜を鋭利に切断しているところ、この切創について同鑑定書には、体表より創底までの創洞の深さの記載はないが、身長百五十九センチメートルで同鑑定書に添付されている写真から想定される栄養体格の女性屍の場合、左前胸部の体表より第九胸椎の左側の肋膜に達する刺創を与える場合は、十七歳という若い年齢を考慮に入れたとしても、(刺創の深さは)一七ないし一八センチメートルであり、胸骨体や胸骨柄を貫通させた後の創傷では弾力性は殆どなく、一三センチメートル長のくり小刀では成傷不可能といえよう」、「右傷の創口を検討するに、凶器の刃幅は二ないし三センチメートルであり、この最大幅を検討した場合、本件くり小刀で前胸部より背面の肋膜を貫通することは不可能であり、刃長がより長い凶器でなければならない」とする。

本鑑定書が、夏子の右刺創が本件くり小刀で成傷不可能との結論を導く論拠として述べるところは、右に記載した内容にとどまるので、必ずしも明らかではないが、同鑑定書中には、刺創の長さを一七ないし一八センチメートルとする点及び右刺創を胸骨体や胸骨柄を貫通した後の創傷であるとする点の根拠について全く記載がなく、夏子の死体の解剖記録である鈴木鑑定書の記載内容を検討してみても、右刺創が胸骨体や胸骨柄を貫通した後の創傷であるとは解しがたく、さらに、夏子の創傷を分析している上野鑑定も、本創傷を胸骨体や胸骨柄を貫通した後の創傷と解していない。

そうしてみると、刺創の長さが一七ないし一八センチメートルであり、胸骨体や胸骨柄を貫通した後の創傷であることを論拠として、夏子の本刺創は本件くり小刀では成傷不可能であるとする津田鑑定書の結論も受け入れることができない。

また、津田鑑定書は、「二郎の肝臓に達する刺創が本件くり小刀で成傷可能か」との鑑定事項について、「力強く刺し、さらに凶器が胸腔内で下方斜めに動いた場合は成傷は可能であるといえよう」として、「成傷を全く否定することは不可能であるが、肯定するには、物理的にはやや無理な条件といえよう」と述べ、さらに、「被害者四名の遺体に残された多数の傷痕から推定される成傷器(凶器)は単数か複数か」との鑑定事項について、「本件くり小刀によっては、夏子の前記第九胸椎左側の肋膜に達する刺創を与えることは不可能であり、また、二郎の前記肝臓へ至る刺創についてはやや無理があるが、その他の創傷は形態が類似しており、やや類似した複数の成傷用器で成傷された可能性は十分に考えられる」としたうえ、「被害者らが多数の防御創を有しているために、単一者では、被害者四人を次々と刺創することができないと考えるのが通常の考え方であるが、一人の被告人により一家三人、四人が同時に殺されている事例は、我々法医学者が経験しているところであるから、これを全く否定することはできない」としているにとどまるから、いずれの点においても確定判決の認定を否定する内容のものとはいえない。

以上のとおり、津田鑑定書は、夏子の刺創に関する点については、その結論を受け入れることができないし、その余の点については、確定判決の認定を否定するに足りる内容のものではないから、本鑑定書を確定判決の認定を覆すに足りる明白な証拠とみることはできない。

(4) 白砂調査報告書及び白砂研究報告書について

右報告書二通の内容は、「本件被害者四名の死体の各創傷の傷口の縦幅と創洞の深さの関係を示す相関グラフを作図し、各被害者の成傷形状をパターン分けして検討したところ、本件くり小刀で形成されたとは考えられない数種の創傷形状パターンの存在が明らかになった」等とするものであるが、右各報告書は、創傷の傷口の閉じた状態での創縁の長さを「ピタゴラスの定理」に基づく計算によって求める等とする実証的な論拠に欠ける独自の見解を述べるにとどまり、確定判決の認定を覆すに足りる新規・明白な証拠とはいえない。

(5) 夏子の左前頭部の円形陥没様成傷の状況を示す鑑定書添付写真の拡大写真等について

これらの点に関して弁護人が提出する各証拠は、取調べ済みの証拠の一部を拡大した写真二枚等であって、これらを新たな証拠と認めることはできない。また、これらの写真等から、夏子の死体の頭部の陥没様成傷は、本件の犯人が円形鈍器で殴打したものと断定できる等とする弁護人の主張は、とうてい採用することができない。

(6) 動物屍体刺突実験報告書について

右報告書は、「特製品として発注、作製させた本件くり小刀と同一銘柄のくり小刀で屠殺後数時間を経た豚の屍体を無作為に数回刺突したところ、刃先が二ミリメートル欠け、さらに肋骨部に向かって数回切離を試みたが、はね返されて全く受けつけず、なお繰り返すと、くり小刀は折損した等の結果となり、本件くり小刀の強度は連続して四名を殺害するに耐えない」とするものである。

しかし、控訴審において「本件くり小刀の性状等からみて、本件くり小刀が犯行に使用された唯一の凶器であるとすることに矛盾・疑問はないか」との点について、東京大学医学部法医学教室教授内藤道興による鑑定が行われており、同鑑定では、「本件記録の審査及びくり小刀を成傷器とする過去の解剖例の調査結果から、本件くり小刀を犯行に使用された唯一の凶器であるとすることに矛盾・疑問はないと思料される」と結論しているのであって、豚の屍体をくり小刀で刺突する実験の結果が、右内藤鑑定の証明力に影響を与えるものとは考えられない。

(三) 以上のとおりであるから、被害者らの各成傷と本件くり小刀との不一致に関する所論に引用する各証拠は、いずれも、請求人に無罪を言い渡すべき新規・明白な証拠ということはできない。

3  本件くり小刀の購入可能性に関する所論について

弁護人は、「『戊橋四郎、同冬子の証言の録音テープ反訳書』と題する書面等新たに提出する証拠によると、沼津市の丁刃物店の戊橋冬子は、警察官が同店に持ってきて同女に示したとされる請求人を含むこがね味噌従業員の写真には全く見覚えがなかったことが明らかとなり、請求人が同店で本件くり小刀を購入した可能性が否定される」等と主張する。

しかし、控訴審判決が指摘するように、第一審判決は、本件直後の昭和四一年七月ころ、沼津市丁刃物店に来た警察官が、こがね味噌従業員の写真二〇枚以上を右刃物店主の妻の戊橋冬子に示したところ、同女が請求人の写真をさして「見覚えがある、二、三か月前ころに見たような感じがする」旨述べたこと及び同店では本件くり小刀と同様のくり小刀を一本五〇〇円で販売していること(これらの点については、控訴審での同女の供述に徴しても疑問は生じなかったとされている)等の事実を摘示するにとどまり、これらの事実から請求人が同店で本件くり小刀を購入したとまで認定しているものではないから、この点に関する弁護人の主張は、請求人が本件犯行の犯人であるか否かについての判断に影響を与えるものではない。

なお、弁護人が提出する各証拠は、質問者らの戊橋冬子らに対する質問とその応答を収録した録音テープを反訳したものであるが、これらの内容を検討すると、同女らに対する質問中には、「袴田が買いにきたとすれば殺人のために買いにきたことになる。すると何かピンとくるでしょうね」等適切を欠くところが多々認められるほか、同女らの応答の内容をみても、請求人の写真に見覚えがなかったとする点以外は甚だ曖昧なものであるし、請求人の写真に見覚えがあったのか否かについて、第一審及び控訴審での公判廷における供述を否定する理由も明らかにされておらず、かつ、同女らの応答の内容が、第一審及び控訴審での公判廷における供述と異なっていることを同女らにおいて自覚しているのかについても疑問であり、右各証拠が、確定判決の認定を左右するものでないことは明白である。

三 一号タンクから発見された五点の衣類に関する所論について

1  端布発見の経緯に関する所論について

弁護人は、「第一審及び控訴審判決は、こがね味噌から請求人の実家に送られてきた請求人の荷物の中に本件端布があったと認定しているが、新証拠である昭和四一年八月二一日の毎日新聞記事によると、請求人が被害者らの葬儀の際に喪章を着用していたことが認められるから、請求人の右荷物の中にあったのは、この喪章と考えるのが自然である」旨主張するが、請求人の実家の整理ダンスの中から本件端布が発見された経緯は控訴審判決が前記第一の三2(一)に記載のとおり詳細に認定しているところであり、弁護人提出の右新聞記事が右認定に影響を与えるものでないことは明白である。

2 五点の衣類の入った麻袋が一号タンクに入れられた時期に関する所論について

弁護人は、「①新証拠である味噌タンク実験報告書により、本件の四日後に警察が工場内を捜索した際、一号タンク内に本件麻袋は入っていなかったことが明らかとなり、また、②新証拠である小川写真報告書等により、本件麻袋は、控訴審において鑑定人砺波宏明が提出した麻袋(本件麻袋と類似の麻袋を八二日間味噌漬けにしたもの)よりも短期間しか味噌漬けになっていないことが明らかとなったから、本件麻袋が一号タンクに入れられた時期は、昭和四一年七月二〇日に一号タンクに新たに仕込まれた味噌が出荷のために取り出され始めた昭和四二年七月二五日以降、本件麻袋が発見された同年八月三一日までの間であり、本件犯行の直後ではない」等と主張する。

そこで、弁護人提出の右各証拠について順次検討する。

(一)  味噌タンク実験報告書について

本報告書の内容は、「本件麻袋が隠されていた工場の一号タンクと同じ大きさのタンクの模型を製作し、本件五点の衣類及び本件麻袋と同様の衣類、麻袋及び八〇キログラムの味噌を使用して実験したところ、①犯人が犯行直後、一号タンクに麻袋を隠したと想定することは極めて非現実的であり、不合理であること、②昭和四一年七月四日に工場を捜索した警察官らに右麻袋が発見されなかったことからすると、当時麻袋が一号タンクに入っていたとはとうてい考えられないこと及び③事件直後の一号タンク内の味噌の量は、控訴審判決が認定した量よりもかなり少なかったことが明らかになった」等とするものである。

(1)  本実験は、犯行直後の一号タンク内の味噌の量が八〇キログラムであることを前提としているので、まず、この点につき検討する。

控訴審判決は、この点に関する第一審の証人〈略〉(こがね味噌製造課長。会社の帳簿から計算すると、事件直後の味噌の量は一六〇キログラム位であるとし、その量なら、中心部はある程度までいっているが、外壁部は底部から二、三〇センチメートル位あると思うとする)、同〈略〉(こがね味噌従業員。昭和四一年六月二六日ころから同月二九日ころまでタンクのまわりを掃除したときに、一号タンクの内部を見たときの記憶では、味噌は二〇〇キログラム位あったと思うとし、薄いところでは底の見えるところもあったとする)、同上崎七一(こがね味噌従業員。供述内容は後記のとおり)、控訴審の証人上崎七一(供述内容は後記のとおり)の各供述に照らし、昭和四一年六月三〇日ころ、一号タンク内には相当量の味噌が残っており、内壁部付近、特に奥のほうには、二、三〇センチメートル位の高さまで残っていた可能性があると認定し、また、前記証人〈略〉、同上崎、第一審の証人〈略〉(警察官。工場捜索時の捜査責任者であって、本件麻袋発見後の部下の報告では、工場捜索時、一号タンクに味噌は三分の一位しかなかったとする)及び控訴審の証人〈略〉(警察官。工場捜索時に一号タンクの中を見たところ、タンクの深さはわからなかったが、上から一二〇センチメートル位までのところには、味噌があったように記憶しているとする)の各供述によると、六月三〇日以後味噌が出された可能性は薄く、捜索の際にもタンク内には半分より少なかったが、なお相当量の味噌が入っていたと認定している。これに対し、本実験報告書は、前記各証人中、上崎七一は、在庫調べのためできるだけ正確に記録しようという目的で味噌の量を確認したのであるから、犯行直後の一号タンク内の味噌の量については、八〇キログラムとする同人の供述が最も信用性が高いと主張する。

しかしながら、同人の第一審及び控訴審における供述内容の要旨は、「昭和四一年七月四日に工場の捜索が行われたすぐ後、一号タンクの在庫調べをしたが、味噌は約八〇キログラム以上あったと思う。あのときは、作業が遅れていたので、仕込み作業をやってから遅くなったので急いで調べた。その方法は、タンクの上のビニールを持ち上げて電灯をつけずにタンクの中をさっと覗いて見た程度である。目測なので違いがある。味噌は軽く山になっていたと思う」(第一審)、「八〇キログラム以上あったというのは大体の見当であり、他の人が六月末の在庫量が一六〇キログラム位あったというが、それが誤りであるかどうかはっきりしたことはわからない。在庫調べのときは、多すぎるのはまずいということになるので、自分は、なるたけ少なめにしていた」(控訴審)等とするものであって、同人が、できるだけ正確に味噌の量を記録しようと意識して確認したものとは思われず、同人の味噌の量に関する供述を信頼性の高いものとみることはできない。そうしてみると、本実験報告書が、上崎七一の供述のみを重視し、控訴審判決摘示のその余の証拠を無視して、本件犯行直後の一号タンク内の味噌の量を八〇キログラムであると断定したことは、根拠に乏しいというべきである。

(2)  次に、本実験の内容を個別的に検討する。

本実験報告書は、①「一号タンクの大きさを再現したタンク内に71.2キログラム(八〇キログラムから五点の衣類の入った麻袋の重さを差し引いたもの)の味噌を入れて実験したところ、味噌を集めれば、五点の衣類入りの麻袋を外部から直接見えなくすること自体は可能であるが、一号タンクは、工場従業員の出入りが可能であり、味噌がいつ取り出されるかわからないこと、警察の捜索が予想されること、隠す作業が大変であること等から、犯人がこのような作業をしたと考えることは、非現実的で不合理である」とし、②「警察官が昭和四一年七月四日の捜索時に味噌の中をつつけば容易に麻袋を発見できた、あるいは八〇キログラムの味噌全部を取り出すことも可能であったこと等から、工場を捜索した際、警察官らによって右麻袋が発見されなかった以上、当時麻袋が一号タンクに入っていたとはとうてい考えられない」とするのであるが、これら①、②の点は、いずれも本報告書作成者ないし実験者の見解を述べているにすぎないものであり、実験の結果から新たな事実を明らかにしたものではないというべきである。また、③「事件直後の味噌の量は、控訴審判決が認定した量よりもかなり少ない量であったことが明らかになった」とする点も、八〇キログラムの味噌を一号タンクの模型に入れても、タンクの外壁部が二、三〇センチメートルの高さにはならないこと等を検証しているにすぎないのであって、右実験結果に特段の意味があるものとは認められない。

以上のとおりであるから、味噌タンク実験報告書はタンク内の味噌の量を八〇キログラムと断定するところに問題があるのみならず、その内容も、結局のところ、本報告書作成者ないし実験者の見解を述べるものにすぎないのであって、控訴審判決の前記認定を覆すに足りる明白な証拠はとうてい認めがたい。

(二) 小川写真報告書等について

この点に関して弁護人が提出する小川写真報告書等の証拠は、いずれも、証拠物として取調べ済みの本件麻袋及び砺波鑑定人が提出した麻袋の状態を写真撮影したもの、ないしはその状態を報告したものにすぎず、新規性を有する証拠とは認めがたい。

なお、付言するに、鑑定人砺波宏明作成の鑑定書によると、「本件ズボンが味噌による物理的化学的影響を受けているか等を鑑定するため、本件端布から切り取った布等を本件麻袋と類似の麻袋に包んで、昭和四七年四月一七日、味噌に投入し、同年五月一〇日に取り出してみたところ、味噌は殆ど浸透していなかったこと、同日、再投入し、同月一七日に取り出してみたところ、未だ浸透は不十分であったこと、同日、再々投入し、同年七月七日(投入後八二日後)に取り出してみたところ、味噌の浸透の程度が外見的に事件当時とほぼ同様となった」とされている。そうしてみると、砺波鑑定人が提出した麻袋は、右昭和四七年七月七日の時点では、味噌の浸透状況が本件麻袋と外見上はほぼ同様であったものと考えられるのであり、また、本件麻袋と砺波鑑定人が提出した麻袋のその後の取扱い方や保管状態に差異があったであろうことを無視して、右各麻袋の現時点での状態を比較検討することは相当でないというべきである。

さらに、弁護人は「一号タンクに本件麻袋が入れられた時期は、新たに仕込まれた味噌が出荷のために取り出された昭和四二年七月二五日以降、本件麻袋が発見された同年八月三一日までの間である」と主張するが、右砺波鑑定書によると、二四日間味噌に漬けた段階では、味噌は殆ど浸透していなかったとされ、三一日間漬けた段階でも、未だ浸透は不十分であったとされていること(弁護人の主張を前提とすると、本件麻袋は最長でも七月二五日から八月三一日までの三八日間しか味噌の中に漬けられていなかったことになるから、右程度の日数では、本件麻袋への味噌の浸透はいまだ不十分であったはずであるのに、本件麻袋には相当量の味噌成分が浸透していたこと)及び一号タンクには、深さ1.67メートルのタンクの上部までいっぱいに味噌が入れられていたのであるから、味噌の出荷が始まった同年七月二五日ころに、底から3.5センチメートルのところに本件麻袋を隠すことは実際上不可能であると思われること等に照らすと、弁護人の右主張はとうてい採用することができない。

3  本件ズボンのサイズに関する所論について

この点に関する弁護人安倍治夫の主張は、「控訴審における弁護人の『本件ズボンは請求人には小さすぎてはくことができないので、請求人のものではない』との主張は、証拠的基礎に弱みがあり、本件ズボンのウエストサイズは、ほぼ八〇センチメートルと確定されるところ、右サイズは、請求人のウエストサイズより四センチメートル大きいから、本件ズボンは、衣服の趣向に厳格な請求人のものではありえない」とするものである。

しかし、安倍弁護人の提出する各証拠は、「請求人は、拘置所内においても身だしなみに気をつけていた」等という程度の曖昧な内容のものにすぎず、本件ズボンが請求人のものでないことを明らかにするものとはとうていいえない。

4  衣類に付着した血痕の不自然さに関する所論について

この点に関して弁護人が提出する証拠は、証拠物として取調べ済みの衣類を新たに写真撮影したものや、請求人作成の書簡(右書簡中に、一号タンクから衣類が発見されたことについて「これで益々有利になった」とする記載があること等をもって、新規・明白な証拠とする)等であって、とうてい新規・明白な証拠とみることはできないし、弁護人の主張は、本件ズボンの血痕に動的飛散性がないから捏造されたものであると断定する等、一面的な立論であって、採用することができない。

5  衣類の損傷等に関する所論について

この点に関して弁護人が提出する証拠は、証拠物として取調べ済みの本件半袖シャツを新たに写真撮影したものや、穿孔の状態を図示したものにすぎず、新たな証拠とみることはできないし、弁護人の主張も、右半袖シャツの右肩部に二個の穿孔のみが存在していたことは証拠上明白であるところ、事件の約二五年後の平成四年に至って、弁護人が第三の微細穿孔が存在することを発見した等とするものであって、とうてい採用することができない。

四  請求人の自白等に関する所論について

1  捜査記録について

弁護人は、「静岡県警察本部刑事部捜査一課、同鑑識課作成の捜査記録によると、県警は、鑑定を絶対に成功させるとの決意のもとに請求人のパジャマの血液鑑定や油質鑑定を行ったことが認められるから、右鑑定が誤っていること及び誤った鑑定を前提にして不当な自白強要が行われたことが明らかである」旨主張するが、右捜査記録から、請求人のパジャマに関する鑑定の結果が誤っていることが明らかになったとみることはできず、弁護人の主張は採用できない。

2 浜田鑑定書について

浜田鑑定書の内容は、「請求人の自白調書四五通を分析したところ、その中にみられる請求人の供述の変遷は、真犯人の嘘がばれていく過程としては理解できず、無実の被疑者が捜査側の示唆・追求に基づいて供述を変遷したものと理解しうるし、また、請求人の右各供述調書中には、請求人が本件犯行事実を知らないことを暴露する供述(「無知の暴露」とする)がみられること等から、請求人の自白は、単に信用できないというにとどまらず、かえって積極的に無実者の自白であることを証明する」等というものである。

本鑑定人は、「嘘には理由がある」等とする鑑定人のいう「嘘の理論」なるものをもとにして請求人の自白を分析した結果、請求人の自白調書中の供述の変遷ないし嘘には理由がなく、犯行事実を知っている真犯人の嘘とは考えられない等と結論するのであるが、結局のところ、本鑑定書の内容は、本鑑定人からみると、請求人の自白中の供述の変遷ないし嘘が、真実を知っている真犯人の供述の変遷ないし嘘としては理解しえないというものにすぎない(例えば、請求人が当初、本件犯行の動機として、「情交関係のあった春子から放火を頼まれたことが発端である」旨述べていたところ、その後、「右供述は、自分をかばうためにした嘘であって、本当はアパートを借りるために必要な金欲しさの犯行である」と訂正している点について、本鑑定人は、「犯行動機を金欲しさの犯行であるとした方が、勤務先の妻との情交関係を認めるよりも世間からの非難が少ないから、請求人の当初の供述は、真犯人が自分の立場をよくするためにした嘘とは考えられない」としている。しかしながら、犯行の動機として、春子から頼まれて放火を企てたとするほうが、金欲しさに自分一人の考えで犯行を企てたとするよりも犯情が軽いと考えるのが普通であるから、請求人の当初の供述を、真犯人が自分の立場をよくするためにした嘘と考えることに矛盾はなく、本鑑定人のこの点に関する意見は受け入れがたい。

また、本鑑定人が「無知の暴露」というところのものも、結局は、請求人の自白調書中、事実と食い違っている供述を取り出し、これを真犯人の嘘と解すると、本鑑定人にとって理解しえないというものにすぎない。

その他、本鑑定人が述べる内容は、つまるところ、請求人の供述調書やその周辺の証拠に対する評価や意見にとどまるものと解されるから、本鑑定書は、確定判決の認定を覆すに足りる明白な証拠とはいえない。

五  混合油に関する所論について

弁護人は、新たに提出する「中沢教授からの聴き取り報告書」によれば、被害者らの着衣等に付着した油と工場内にあった混合油との同一性及びパジャマに混合油が付着していたかの争点についての控訴審の認定が誤りであることが明白となると主張するが、右「聴き取り報告書」は、控訴審で取り調べられた中沢鑑定書及び同人の公判廷における供述と実質的にその内容を異にするものではないと解されるから、これを新たな証拠とみることはできない。

六  丙下秋子に対する金の預け渡しに関する所論について

弁護人が提出する木下鑑定書は、「第一審判決が挙示する岩崎鑑定、長野・市川鑑定及び遊佐鑑定の鑑定結果はいずれも誤りであり、本件封筒・便箋の文字は、丙下秋子の書いた文字と99.9パーセント以上の確率をもって同一筆跡とは認められない」とするものであるが、そのいうところは、「わが国における二通の硬筆による手書き文書の筆跡鑑定においては、二通が『同一筆跡である』との論証は原則的に不可能であり、二通が『同一筆跡でない』との実証が可能となる場合は存在するということが筆跡鑑定の根本原理であり、本件封筒・便箋中の文書と丙下秋子が昔勤めていたときに書いた注文控えノート等に書かれた文書の中から『ツ』の文字を取り上げ、『ツ』の第二画の延長線と第三画との交点をMとし、第三画のMより上の線の長さをα、第三画の全体の長さをβとして検討すると、両文書の『ツ』の字のαとβの比率は明瞭に異なっており、これを近代統計学における仮設検定論に基づいて検証すると、99.9パーセント以上の確率をもって同一筆跡でないと言明できる」とするものである。

しかし、本鑑定書にいうαとβの比率は、第二画と第三画を続けて書いたり、第三画を長く書いたりすることにより、著しい差異が生じてくるものであるが、これらの点は、同一人が書いたものであっても、書いた時期や急いで書いたか否か等により相当程度異なる場合があることは経験則上明らかであるうえ、こうした「ツ」の文字の第三画の線上のαとβの比率のみを根拠とし、その余の点については全く考察を加えることなく、「本件封筒及び便箋の文書が丙下により書かれたものでないことを決定的に言明できる」とする本鑑定書の結論はとうてい受け入れることができない。

(また、弁護人が提出する小学一年国語学習指導書中に「高学年になってもシとツの書き方の区別のつかない子供が見られる」との記載があるからといって、前記岩崎鑑定、長野・市川鑑定及び遊佐鑑定に基づき、「本件封筒の差出人が丙下であると断定することはちゅうちょされるが、かなりその疑いが強いことは認められる」とした控訴審判決の判断にいささかも影響を与えるものでないことは当然である)

七  請求人の人格に関する所論について

弁護人は、「新たに提出する請求人作成の日記・書簡の抜粋集によると、請求人の善人格、行動証拠としての否認の一貫性は明らかであり、これらのいわゆる人格証拠によって請求人の無罪を立証する」旨主張するが、これらの点は、請求人と本件犯行との結びつきについての判断を左右する意味を持つものではなく、右の証拠は確定判決の判断を覆す明白な証拠とみることはできない。

八  ゴム草履に関する所論について

弁護人は、「請求人のゴム草履には血痕の付着がないから、請求人が犯人でないことが明らかである」と主張するが、弁護人が新たな証拠として提出するものは、結局のところ、既に証拠物として取調べ済みのゴム草履(第一審において、検察官から、請求人のゴム草履の存在を立証趣旨として、また、弁護人から、血痕・混合油の付着していないことを立証趣旨として、それぞれ取調べ請求がなされ、証拠として採用されている)を新たに写真撮影したもの及びそれを見分した状態を報告したものにすぎないから、このような証拠を新たな証拠とみることはできない。

九  請求人の右手甲に傷が存在しないとの所論について

弁護人は、「請求人は九月九日付け検察官調書で『右拳骨で専務(一雄)の顎のあたりを一発殴りました云々』と述べているが、そのような場合、右手甲は腫れあがったり、あざができるはずであるところ、そのころ請求人の右手甲には傷がなかったから、請求人の右自白は信用性がなく、同人の自白に依拠した確定判決は効力を失う」旨主張するが、請求人の九月九日付け検察官調書に対する評価はすでに説示したとおりであり、また、請求人の右手甲に傷がなければ、請求人が拳骨で一雄を殴っていないことが明らかであるとの弁護人の主張もとうてい首肯することができないから、この点に関して弁護人が提出する各証拠を確定判決の判断を覆す明白な証拠とみることはできない。

一〇  請求人の右上腕部の創傷が存在しないとの所論について

弁護人は、「請求人の右上腕部の創傷は、本件発生当日には存在しておらず、昭和四一年七月四日以降に生じたものである」と主張するが、この傷については、請求人自身が公判廷において、事件当日の消火作業中、屋根から落ちてできた傷と思う旨供述していて、事件当日より後に受傷したとは供述していないのであって、弁護人が提出する請求人作成の日記・書簡の抜粋集中に「請求人には衣類の損傷に相応する傷跡がない」とする記載があるからといって、これを確定判決の判断を覆すに足りる明白な証拠とみることはできない。

第四  結論

以上のとおりであるから、原判決の証拠となった証拠書類が偽造されたものであるとの弁護人の主張は失当であり、原判決の証拠となった証言が虚偽であるとの主張については、確定判決に代わる証明があったと認めることができない。また、弁護人が提出した各証拠は、新たな証拠と認めることができないか、あるいは、これを確定記録中の既存の証拠と総合評価して検討してみても、確定判決における事実認定につき、合理的な疑いを抱かせ、これを覆すに足りる蓋然性のある証拠とは認められない。

よって、本件再審の請求は、理由がないので、刑事訴訟法四四七条一項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官鈴木勝利 裁判官伊東一廣 裁判官内山梨枝子)

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